タグ別アーカイブ: スペイン語の勉強

2015年 6/24(水)

6/24(水)
 昨日の疲れもあり、まだ、胃が痛い。パンを食べたが、昼は抜くことにする。
 スペイン語の子どもの本を読んでいるが、去年ほど熱心にできていないように思う。いつも勉強してから来ようと思うのだが、できていないのが実態である。
 午後、ベニータが姪御への手紙の返事を持ってきた。ひとつ約束が果たせた。
 米作りの成果は上がらないが、人間関係は少しずつ広がっているように感じる。
 胃の調子に自信が無いので夕食も抜きにする。

ベニータが息子さんと姪への手紙を持参
ベニータが息子さんと姪への手紙を持参
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2015年 6/11(木)

6/11(木)
ベリンダ(空手家、松矢さんの孫?)の家からマンゴを貰う。去年は直ぐマンゴがなくなったが、2度なり、三度なりとかなり続く、いずれにしても感謝。
スペイン語の若者の本を読む。少しずつ単語を思い出してくる。日本でやればよかったと思う。
スパゲッティーが食べたいが、いつも行く店ではおいていない。残念。

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ラウル・カストロ議長の第7回米州機構総会における演説

※この翻訳は Señorita Murakami Kumiko 氏による 「スペイン語中級者による翻訳」とのことで「誤訳があるかもしれません。あしからず。」とのことです。

なお、翻訳のテキストとともにメールには
「4月11日、米州機構総会でのラウル・カストロ議長の演説については日本のマスコミでも取り上げられていましたね。8分間の持ち時間で約50分演説したそうですけど、〈中略〉…それで、50分間もどんな話をしたのかと興味を持たれているのではないでしょうか。
キューバ関連のサイト(投稿欄最下段の引用元リンクを参照)に演説のテキスト版がUPされていて、見たところそれほど難解ではなさそうなので翻訳してみました。
少々長いですが、ぜひ読んで見てください。」
…とありました。

これまで日本ではキューバやラテンアメリカの国々と、アメリカやその他の西欧諸国との関わりについて《教科書ではあまり触れられない歴史としての》中南米の国々から見た近現代史を知るうえで大変興味深いテキストだと思います。
ご興味ある方はぜひご一読を、と思い掲載させていただきます。

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2015年4月11日(パナマ)

ラウル・カストロ議長の第7回米州機構総会における演説

ようやく私がキューバを代表してここで話す番が来た。

当初、8分間、演説ができると言われたので、参事たちと8分間にまとめる努力をしたが、私たちを排除した総会が6回あったので、その分を考えれば6回×8分で48分だ(笑い声と拍手)。このすばらしい会場に入る前に、バレラ大統領にもう何分間か時間を頂けるよう要請した。これまで聞いてきた興味深い演説の後に。これはオバマ大統領のみならず、エクアドルのラファエル・コレア大統領、ディルマ・ラウセフ、それにその他の皆さんの演説のことだ。前置きはこのくらいにして始めよう。

パナマ共和国の偉大なるフアン・カルロス・バレラ大統領をはじめとする大統領並びに首相の皆さん。ここに参加されている皆さん。

はじめに、チリが遭遇した自然災害に対しバチェレ大統領とチリ国民に対し、私たちの連帯の意を表する。

キューバが平等な立場でこの半地球的な地域会議への参加を可能にしたラテンアメリカ・カリブ諸国の連帯に、そして私たちをこれほど暖かく迎えてくれたパナマ共和国の大統領に感謝の意を捧げる。私はパナマ人民とこの場に代表されるすべての国々に対し兄弟的な抱擁を携えてきた。

2011年12月2日~3日、カラカスで開催されたCELAC(ラテンアメリカ・カリブ諸国共同体)は、平和のうちに生きる権利、人民が自由に決定したように発展していく権利を持つこと、未来に向けて協力、連帯、独立、尊厳、アイデンティティを保障した共通意志に基づく統一への道筋を明確にし、私たちのアメリカの新たな時代を拓いたと考える。

「偉大なる祖国アメリカ」を育てるというシモン・ボリバルの理想が、真の独立という英雄的行為に導いた。

1800年代、キューバは帝国主義的膨張主義の南の境界線として合衆国に統合されると考えられていた。19世紀にはラテンアメリカ、世界を征服する目的で「明確なる運命」―マニフェスト・デスティニー(Manifest Destiny)といった覇権主義が頭をもたげ、解放に向けて独自の思想が芽生え発展してきた事実は軽視され、キューバは熟れた果物のように合衆国の手に落ちる運命は逃れ得ないとされていた。

後に、膨張主義はその力と支配を強め、戦争、征服、干渉を通して私たちのアメリカの土地を奪取し、その力はリオ・ブラボーにまで及んだ。

長く険しい闘いの後、ホセ・マルティは1895年、「必要な戦争」を組織した―1868年の戦いと同様、「偉大なる戦争」と呼ばれている―。そして、人間の完全なる尊厳を求め「民衆とともに、民衆のための」共和国を導き打ち立てるため、キューバ革命党を創設した。

その時代をあらかじめ明確に定義付けするのにマルティの言葉を借りよう。彼は「合衆国がアンティジャス諸島にまで膨張し、我らのアメリカの地にさらなる力で覆いかぶさってくるのをキューバの独立によって防ぐ」と言った。そして、その戦いに自らを捧げたのである。

彼が「我らのアメリカ」と言うとき、それは、クリオージョ(中南米で生まれた者)や先住民、黒人、それぞれの混血の人々、それに彼らと共通の敵によって搾取され収奪される労働者たちを指している。今や、彼の言葉は地理的な意味を超え、現実のものとなりつつある思想である。

117年前、1898年4月11日、合衆国大統領が議会に、キューバで30年にもわたり闘われ、その中でキューバ人が血を川のように流して解放を勝ち取りつつあった独立戦争に軍事介入を求めた。そして、実際のところ独立は、キューバにその権利があることを知っていた合衆国議会は詐欺的な共同声明を出し、同盟者のように入り込んで家主のように国を支配したのである。

キューバ憲法に、プラット条項―提案者の名前でそのように呼ばれている―が付加された。これによって自決権を奪い取り、隣国に対し力で内政干渉する権限を得、そして我が国の一部分を不当に占拠しているグアンタナモ海軍基地を置いたのである。この時期、米国資本による干渉が増大し、後には2度の軍事干渉と残酷な独裁者への支持が行われた。

20世紀のはじめ、キューバ人が独自憲法制定を計画すると、合衆国に任命された将軍がやって来て、これでは不足だと言い、キューバの制定委員たちが何が不足しているのか尋ねると、「プラット上院議員が提案した修正条項により、合衆国が決めた時はいつでもキューバの内政に介入することができることになっている」と答えた。

彼らはこの権利を当然、利用した。キューバ人はそれを拒否したが、その答えは「いいだろう。我々はここに居座る」ということだった。それが1934年まで続いた。

2度の軍事介入があり、さらには先ほど述べた通り残虐な独裁体制を援助した。

ラテンアメリカに対し「大砲の政治」で、のちには「善き隣人」として支配した。

20カ国において相次ぐ介入で民主主義的な政府を打倒し、ひどい独裁体制を打ち立てた。12カ国ではそれが同時に行われた。主として南米大陸の国々で方々に独裁が布かれ100,000人もの人が殺された、かなり最近のあの時代のことを、我々の中で覚えていない者がいるだろうか。サルバドール・アジェンデ大統領は我々に決して打ち消すことのできない事例を遺した。

まさに13年前、友であるウゴ・チャベス・フリアス大統領に対しクーデターが行われ、人民がそれを打ち負かした。その後、すぐに起きた石油業者の反抗で膨大な予算が失われた。

合衆国の軍隊がハバナに上陸して60年後にあたる1959年1月1日、キューバ革命が勝利した。フィデル・カストロ・ルスに率いられた革命軍が首都に到着した日が、まさに60年後のその日だった。これは理解に苦しむ歴史の皮肉である。キューバ人民は、完全なる自決権を大きな代償を払って求めてきた。完全に支配下に置かれた中で、それが60年続けられてきた。

勝利からようやく1年経ったばかりの1960年4月6日、合衆国のレスリー・マジョリー補佐官が、何10年も経った後に否定されることとなる、私としては忌まわしいとしか形容しようがない覚え書きを書いた。幾つかの文節を引用しよう。「大多数のキューバ人はカストロを支持している」、「反対する有効な政治勢力がない。唯一、彼への国内の支持を減少させ得る手段は不満、経済的欠乏から来る失望や意気の喪失である。飢え、絶望、政権打倒をもたらすために賃金を実質的及び名目的に減らし、経済的に弱らせ、キューバの財政、供給を奪取すること」。引用はここまで。キューバの人口の77%が、経済封鎖によって課された、想像よりもはるかに厳しい状況の中で生まれた。さらに言えば、それにも関わらず大勢のキューバ人は祖国愛の信念が勝っていて、攻撃は抵抗する力を鍛え、革命のプロセスを加速させた。以上が、人民の自然な革命的プロセスが妨たげられたときに起きたことである。妨害はさらなる革命をもたらす。歴史が示している。それは我々の大陸やキューバの場合というわけではない。

経済封鎖は、1962年にケネディ大統領がサインして始まったわけではない。彼については短い報告をしておきたい。彼は、今、私がオバマ大統領と始めているようなことをするために我々の革命指導者との接触を積極的に進めようとした大統領だった。彼の暗殺を伝えるニュースが入ったのとほぼ同じ時間に、彼からのメッセージを受け取っていた。

攻撃が強まった。1961年、合衆国の援助を受け組織された傭兵たちによるプラヤ・ヒロン侵攻があった。2度にわたり全土に及んだ武装グループとの6年間の戦争があった。我々は1台のレーダーも秘密の航空機も持っていなかったから、どこから飛んできたのか知らないが、落下傘で武器が投棄されていた。この間、何千人もの命を失った。経済的なダメージは、正確な数字を割り出せていない。終わったのは1965年1月だが、そうした支援が始まったのは1959年の終わり頃で、革命勝利から10カ月か11カ月後のことで、我々はまだ社会主義革命だと明言してはいなかった。それを宣言したのは1961年で、侵攻に先駆けて空港が爆撃され、その犠牲者たちを埋葬したときだった。数日後、当時の我々の小さな軍と人民は侵攻と戦い、革命指導者の命令を遂行し72時間のうちに殲滅した。カリブ列島の中で最も広い沼地に守られた上陸地点を占拠すれば、首相やその他の大臣を任命して既にフロリダの米軍基地内に設立してあった政府をそこに設置することになっていたからだ。占拠した地域を短い時間での平定に成功すれば、その政府をプラヤ・ヒロンに設置するのは簡単だった。そして、既に南米大陸にはない思想を宣言したことをもって我々を罰していたOEA(米州機構)は直ちにその政府に承認を与えたことだろう。キューバの中の一部分の小さな土地に設立された政府はOEAに援助を求め、その要請を受ける海岸から3マイル先のアメリカと戦争となるところだった。というのは、当時の海域の境界は3マイルだったからだ。今は皆さんご存じの通り12マイルだ。

そして革命は強化され続け先鋭化していった。さもなくば断念しかなかった。何が起きただろうか?キューバはどうなっていただろう?何千、何万のキューバ人が死んだだろうか?我々は軽装備の武器は既に手にしていた。最初の戦車は受け取っていたがまだ操縦の仕方にさえ慣れてはいなかった。機関銃を撃つことはできたが、どこに当たるかわからなかった。民兵たちは午前中に教習を受け、午後には成果を実践で見せなければならなかった。

しかし、勇気ある行動がたくさん見られた。隊列を広げて展開することができず、戦車や重量の大きい車も進めない湿地帯をたった1日の行程で行かなければならなかった。攻撃する側よりも我々の方が不利だった。そういう中で、72時間内に殲滅せよというフィデルの命令を遂行した。

中米から侵攻軍に随行してきた合衆国のその艦船がそこにいて、海岸から見えた。彼らの船からわずか3マイルだった。

1954年に行われた名高い侵攻でグアテマラはどれほどの犠牲を強いられただろうか?私はそのとき1年前のモンカダ兵営を襲撃で青年の島の監獄に収監されていたのでよく覚えている。当時はピノス島と呼ばれていたが。幾万人のマヤの人々、先住民たち、グアテマラの市民たちが、解放されるまで長い年月を要した懲役を課せられ閉じ込められただろう?それは始まりだった。

我々が社会主義を宣言し人民がそれを守るためにプラヤ・ヒロンで戦ったその後で、少し前に私が話の中で触れた通り、ジョン・F・ケネディ大統領は、キューバ革命の指導者であるフィデル・カストロが彼から、ジョン・F・ケネディから対話するためのメッセージを受け取った同じ日、同じ時間に暗殺されたのである。

「進歩のための同盟」が結ばれ、何度か支払われた国外への資金援助が増額し続けた後に、近年における帝国主義と言うべき野蛮な新自由主義が台頭し、この地域に10年間の堕落した時代をもたらした。

半地球的連合体の提案は、米州自由貿易地域(ALCA)を押し付けるものだった。もし2005年5月に、プラタにおいて、チャベス、キルチネル、ルーラのリーダシップによって計画を破綻に導かなければ、経済、自決権、我々の国々の共通目的は崩壊させられていただろう。その1年前に、チャベスとフィデルは「相互ボリバル主義」を誕生させていた。現在の「米州ボリバル同盟」である。

皆さん。

私たちが形容してきた言葉を、オバマ大統領に繰り返し申し上げる。両国の間に深い相違を内包しつつ、敬意をもった対話と文化的な共存が私たちに求められている。

レーガン政権下で、キューバをあり得ないことにテロ支援国家のリストに入れた問題について、早急に解決すると彼が最近明言したことについて、これを積極的な姿勢として評価する。

我々がテロ国家だとは!確かに我々は、包囲され排除され限りない嫌がらせを受け続け、降伏するか戦うかの二者択一以外の唯一の解決策であったときに、テロリストと見なされた他の人民との連帯行動を何度か行った。

我々が人民の支持のもと道を選択していることをあなた方はご存じだ。キューバ人民は、存続するため、そして他の国々を援助するため犠牲を払っているが、我々がそのような犠牲を人民に強制しているなど、一体誰が考えるだろうか!?(拍手)しかし、「カストロ独裁が彼らに強制している」と言うのだ。人口の97.5%が社会主義に投票したのと同様に。

繰り返すが、オバマ大統領が最近、決してキューバが名を連ねることなどあり得ないテロ支援国家のリストにキューバが記されていることについて早急に解決すると表明したことを、積極的な行為であると評価していると皆さんに言ったが、なぜならテロリストたちに死に追いやられてきたのは我々であり、そうした結果をもたらしてきたものだからだ。正確な数字は持って来ていないが、キューバ国内で起こされたテロでも、また、幾つかの事例ではキューバの外交官たちが国外で殺された。今、仲間がデータを渡してくれた。それによると3,478名の死者と2,099名の重度障害、さらに多くの怪我人を出している。

テロリストとは、死をもたらす者たちのことだ。それではどこからテロリストは来たのだろうか?何が彼らを駆り立てているのだろうか?その中の何人かは、チェを殺して彼の切り落とした腕を、指紋を照合するために証拠としてどこかに持ち去ったCIAのロドリゲスのようにパナマにいた。チェの遺体は、後にボリビアの友好的な政権の取り計らいにより我々が掘り起こした。それはともかく、そのときから我々はテロリストにされた。

オバマ大統領、並びに他の大統領の皆さんに、このような発言をしている私の振る舞いについて心からお詫び申し上げる。私は彼本人に、革命のことに触れられると情熱が毛孔から噴出してしまうのだと言った。彼に謝らなければならない、というのは、オバマ大統領はこのことについて何の責任もないからだ。何人の大統領がいただろう?彼の前の10人は、我々に対して借りがある。オバマ大統領はそれには入っていない。

体制について多くの厳しいことを言う前に、これもまた彼に謝っておきたい。なぜなら私はこう考える者だからだ。ここで会ったり、あるいは我が国に迎えて個人的な会合を持ったりした多くの国や政府の代表者に、私はこのように表明してきた。私の意見では、オバマ大統領は正直な人であると。2冊の本で、彼の人となりを幾らか読んだ。読み切ってはいないのだが。落ち着いたときに全部読みたいと思っている。彼の慎ましい生い立ちは尊敬する。それに、彼の素直な性格は慎ましい生い立ちからきているのだろうと思う(大きな拍手)。

こうしたことを口にすることについて私はよく考えた。メモまで書いたがそれは破棄した。書いては破り、書いては破り、そしてとうとう言うことができた。満足している。

今日まで、経済、通商、金融封鎖はキューバに厚くのしかかっており、人民に被害と窮乏をもたらしている。これは我々の経済的な発展の障害要因である。国際的に認められている権利を侵害するものであり、他国にまで及んですべての国々の利益を阻害している。

国連において、数年にわたって毎年、合衆国自身とイスラエルを除いてほぼ満場一致の投票になるのは偶然ではない。大統領の責任ではない、議会での採決や法令の改訂によって作られた大統領には変更することができない法律で経済封鎖が行われている限り、闘い続けなければならないし、経済封鎖を撤廃する意志を持ってオバマ大統領を支え続けなければならない(拍手)。

問題は外交関係を樹立であり、もう一つの問題は経済封鎖である。それで皆さんに心からお願いしたいことは、経済封鎖に対する闘いを支持し続けてほしい。

皆さん。

私はオバマ大統領に公式に申し上げたことだが、彼もまたキューバへの経済封鎖が行われて以降に生まれたわけだが、彼がそれを終結させるために自国の議会とこの問題について論議することを勇気ある決断だと我々は受け止めている。

このことやその他の問題は、外交関係の正常化に向けたプロセスの中で解決されなければならないだろう。

我々の方としては、社会主義の完全化のため、キューバ式経済を現状に即した形にし、発展に向かって我々の人民のために「すべての正義を勝ち取る」とした革命が求めるところに従い前進する計画を継続していく。我々が何をするかは、党大会で承認された2011年からのプログラムに明記されている。来年開催する次の党大会においてさらに深め、やってきた内容と、目標達成するために不十分だった点について精査していく。

皆さん。

あなた方に、私の話は、短くしてほしいとか、続けてもらいたいとかいろいろあるだろうが、まだ半分だということを言っておくべきだろう。ちょっと急ぐことにしよう(笑い声)。

ベネズエラが、合衆国のような超大国の安全保障にとって脅威であろうはずがない(拍手)。合衆国大統領がそれを承知していたことは間違いない。

姉妹国であるベネズエラ・ボリバリアーナ共和国、合法的に樹立された政権、そしてニコラス・マドゥロ大統領をリーダーとする市民―軍連合、ベネズエラ人民、チャベスの拓いた道を引き継ぎ、我々が抗議している仕組まれた不安定をもたらす企みや、我々が廃止を求めている大統領令による一方的な懲罰と闘っているチャベス主義者に対し、私は完全なる誠実な支持を再度表明しなければならない。法では困難でも、半地球的な我々の共同体の中で評価されているのは対話と理解を求めることだろう。

私たちは知っている。ここに集まっている私たちは、ベネズエラの件をよく知っている少ない人々のうちに入るのではないかと私は思っている。そこにいたからでも、そこに影響を与えたからでも、彼らが私たちに詳しく語ったからでもない。私たちが知っているのは、彼らに起きていることは、私たちが歩んできた同じ道で起きたことだし、彼らを苦しめている侵略と同じ、あるいは同様な侵略で私たち自身が苦しんできたからだ。

我々はマルビナス、南ジョージア、南サンドウィッチ諸島を取り戻すためのアルゼンチン共和国の努力に連帯し続けるとともに、金融の自決権を守る法的な闘いを支える。

国内に経済的打撃をもたらし不当な環境悪化を押し付ける多国籍企業と対峙するエクアドルの行動を引き続き支持する。

ブラジルとディルマ・ルセフ大統領の地域の統一強化と、この地域の左派政権を前の時代に戻そうと行われている攻撃の中で、進歩と富を社会の各部門に拡大させた社会・政治の発展への貢献を再度確認したい。

国連の非植民地化委員会で何十回も見解が示されたように、民族自決権と独立を勝ち取るためのプエルトリコのラテンアメリカ及びカリブ人民の努力に対する我々の支持は不変である。

コロンビアの和平に向けた段階的な取り組みに対しても、良い結果が得られるよう我々は貢献し続ける。

我々の全てがハイチへの人道的支援のみならず、かの国の発展に繋がる援助を増加させなければならない。そして、カリブの国々が、経済格差の中で公平な扱いが受けられるよう、また奴隷制と植民地政策によって受けてきた被害を修復できるよう支えていかなければならない。

我々は除去すべき核の集積と一刻の猶予も許されない地球温暖化の脅威のもとで生きている。平和への脅威が増し、紛争が急増している。

フィデル・カストロがかつて言った通りである。「根本的な原因は貧困と低開発、そして世界を牛耳っている富と知識の分配の不平等にある。現在の低開発と貧困が、征服と植民地化、奴隷制、そして帝国主義の出現による大部分の土地の植民地的な収奪と世界を再分配するための血みどろの戦争の結果であることを忘れるわけにはいかない。人類は、このままでは今までのようにはいかないことを自覚しなければならない。今日―」とフィデルは続けた。「我々人類は知識とすばらしい道徳心、真の正義と人道に基づいた歴史的な次代に向かって前進するのに充分な科学の力を得た。今日、経済及び政治秩序の中に存在するものは人類のためにならない。自らを支えることができない。変えていかなければならない」とフィデルは結論づけた。

キューバは、我々の人民が貧困と、医療を受けられず苦しめられてきた病気、失業、幸せに見放され労働や売春を強要された子どもたち、世界に蔓延する飢え、差別、抑圧、搾取といった犠牲と危険を払って闘ってきた思想を守り抜くだろう。

金融投機、ブレトン・ウッズ体制による優遇措置、一方的な金・ドル本位制の押し付けは、日々行き詰まりを生じている。我々は透明で公正な金融システムを要求する。

10以下の―、7つか8つのうち4つか5つが特に合衆国に集中し、世界で読まれるもの、見るもの聴くものを独占し決定づけている独占的商社を受け入れることはできない。インターネットは国際的で民主的な参加のもとで運営されるべきである。他国を侵害するための軍事的サイバー利用と不正、不法なサイバー企業は許されない。

我々は再度、だまされたり植民地にされたりするわけにはいかない。近年のすばらしい発明品であるインターネットについては、イソップ寓話を例にしてこう言おう。インターネットは良いことに使えばとても役に立つが、悪いことにも役に立つものである。

大統領。

半地球的な我々の関係は、私の意見では、国際的に認められた権利と積み上げられてきた自決権、統治権の平等に基づき、互恵関係の発展と我々すべての国々の利益に有益な協力関係、また明らかに示されている我々の目的のために、とりわけ政治、経済、文化の分野において完全に変わらなければならない。

2014年1月、ハバナで開かれたCELAC(ラテンアメリカ・カリブ諸国共同体)第2回総会における「平和地帯宣言」の承認は、ラテンアメリカとカリブがこの宣言の目的のために多様性を乗り越え、統一への一歩を刻むものであった。

ここで示されたことは、CALAC(ラテンアメリカ・カリブ諸国共同体)、UNASUR(南米諸国連合)、CARICOM(カリブ共同体)、MERCOSUR(南米南部共同市場)、 ALBA-TCP(米州ボリバル同盟)、 el SICA(中米統合機構)、Asociación de Estados del Caribe(カリブ諸国連合)を通じて発展を保障するため統一の必要性への自覚を深め、またこれらを通じて我々が真にラテンアメリカとカリブの統一に向かって前進していくという事実である。

先ほど述べた宣言は、「各国の間の多様性は、対話と交渉、その他の方法を通じ、国際的な権利に完全に合致する形で平和のうちに解決できる」ということを確約している。

互いに協力し合って脅威に立ち向かい、平和のうちに生きること、我々に悪影響を与え、最終的には全てに悪影響を与えるような問題を解決することは、今日、緊急的に必要なことである。

我らのアメリカの各国政府のリーダーが署名したラテンアメリカ・カリブ平和地帯宣言が「全ての国が政治・経済・社会体制及び文化を自ら選びとる権利は、各国間の平和的共存という基本的な環境を保障するために譲ることはできない」と述べているように、互いに敬意を払わなければならない。

この宣言で、我々は「直接間接に関わらずどのような国に対しても内政干渉せず、国の自決権、平等の権利、人民の自由意志遵守する義務」を果たし、「国際的権利の原則と規範、それに国連憲章の原則と目的」を尊重することを確約し合っている。

この歴史的文書は、国際的連合体のメンバーになっている全ての国々に対し、CELACのメンバー国と外交関係に当たってこの宣言を尊重することを求めている。

今、私たちがここにいることは、宣言が述べている「寛容と良き隣人としての平和的共存の実践」を学ぶのに良い機会である。

個別的に、確かに相違点が存在する。しかし脅威に満ちたこの世界で平和に生きるため、人類が生き延びていくために協力できる共通点も存在する。

「地球温暖化の危機に立ち向かうため、半地球規模の協力体制」、―私の前に話をした大統領の皆さんの何人かがこの言葉を使いこのことについて言及したが、それを妨げているのは何だろうか?なぜ、北と南、2つのアメリカ大陸にまたがる我々の国々がテロ、麻薬取引、あるいは政治的背景を持たない組織犯罪に対してともに闘えないのはなぜなのか?

この地域に学校や病院を設置するのに必要な手段を全体で探そう。治療を受けられずに人々が死んでいく地域に、豪華でなくても良い。慎ましい診療所を。雇用を創出し貧困を根絶しよう。

富の分配の不公平を小さくできないだろうか。子どもの死亡率を低くできないだろうか。飢餓、予防できる病気、非識字を根絶できないだろうか。

昨年、我々はエボラ熱との対決とその予防のために半地球規模の協力体制を作り上げ、南北アメリカの国々が協力し合って汗を流した。これが我々にさらなる努力を促す刺激となるに違いない。

小さくて地下資源もない国、キューバは、敵意に満ちた極めて困難な状況を乗り切り、市民の完全な政治・社会参加の実現、無料で保障されている普遍的な教育・医療、1人のキューバ人も路上で暮らさないで済むことを保証する社会保障制度の実現、あらゆる形の差別と対峙する中で前進してきた機会の平等、子どもと女性の権利の完全なる履行、スポーツ、文化活動への参加、生存権並びに市民権を確立することができた。

欠乏と困窮にも関わらず、我々が持っている物を分け合う活動を続けていく。65,000人のキューバ人が協力活動の要員として89カ国で特に 医療・教育分野で活動している。また157カ国から来た68,000人が我が国で専門的、技術的な教育を受け卒業した。そのうち30,000人は医療分野の卒業者である。

資源が乏しくとも、キューバはできた。援助をより必要としている国々に貢献するため、この半地球的地域の力を政治的な意欲でつなぎ合わせれば、できないなどということがあるだろうか。

フィデルと英雄的な我が人民の努力により我々はこの総会に来て、ホセ・マルティの言葉を実現することができた。ホセ・マルティが言ったように、侵害された自由と自らの力で「誇り高き我らのアメリカは、決意と称賛に値する能力、そして自己犠牲をもって世に奉仕し名誉を勝ち取る」のである。

大統領。

そして全ての皆さん、時間をとったことをお許し願いたい。

ありがとうございました。(拍手)

引用元:CUBADEBATE

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7/16(水)

 スペイン語の勉強後、夕方散歩。
 ノボルが帰宅。来週の火曜日にイミグラシオンでビザ延長の手続きをするとのこと。
 ノボルが腹痛で早く休む。土日も各地区へ行ったことで疲れが出たのかもしれない。感謝。
 ヨシコから電話、アルベルトが明日、籾殻を取り行くとのこと。
 少し、動き始めたが、相変わらず、雨が降らず、どうすることもできない。

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7/15(火)

 午前、散歩、午後、昼寝後、スペイン語を勉強。
 エステバンが来る。彼にハバナまでの飛行機のチケットを依頼。また、彼が車の部品の出来具合を明日確認するとのこと。
 ノボルの話では大学のガソリン代が無く、メヤ地区にいけないとのこと。タクシー代を出すのでヘススに日程を確認してもらう。

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7/9(水)

 午前、スペイン語の勉強、レイコさんへ電話、自動車の部品の経過を聞く。
 午後、サッカー観戦後、散歩。エステバンに偶然会い、奥さんの実家へ、奥さんの足の怪我は6週間かかるとのこと、私の泊まる場所を考えてもらわなければならない。
 シャミセンの原稿を日本へ送るようにノボルに依頼する。

孫と一緒のエステバン
孫と一緒のエステバン
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7/7(月)

 午前、DVDを見た後、ヘロナの町を散歩、大学のヘススと会い、メヤ地区等へ行きたいと話をする。後で電話するとのこと。
 午後、昼寝後、スペイン語の勉強。
 ノボルが日本からのメールを持って帰る。ベニータの原稿をヨシコに依頼し、確認を取ってもらう。原稿が送れず、明日とのこと。

学校が休みになり、このような行事があるようだ。
学校が休みになり、このような行事があるようだ。
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