「青年の島の暮らし」カテゴリーアーカイブ

7月21日(木)

 フカロへ移動する準備。蚊が気になる。途中、油・洗剤等を購入し、原田さん宅へ行く。湊さん宅へウッディーナの双子の姉妹に会いに行く。彼女そっくりだった。
夕食はタケノコ、ラッキョウ、ユカ等野菜が多くでる。

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キューバ・青年の島の島津三一郎さん

※ヘッダー写真は2008年の稲作支援計画視察ツアーにて老人ホーム訪問時の様子

新聞やテレビなどでも報道がありましたがキューバ日系移民一世の島津三一郎さん(キューバ・青年の島在住)がお亡くなりになったというお知らせが届きました。
以下は青年の島の湊・ナンシーさんから届いたメールの訳文の一部と(原文)です。


 

キューバと日本に大きな悲しみをもたらすお知らせです。私たちは日系移民のシンボル的存在を失いました。

日系移民のシンボルが去る2016年7月10日(日)、亡くなり、月曜日午後3時にフランシスカ・ナビア・クアドラド老人ホーム、青年の島日系人協会、保健所とその高齢者支援部門、自治体、党地方支部、地方紙の新聞社により埋葬が執り行われました。
彼らの臨席のもと、渡辺勝日本大使をはじめ日系人家族、彼の友人たち、そして、彼をすばらしき息子の一人として暖かく迎え入れてきた老人ホームから花輪が捧げられました。
故 島津三一郎(みいちろう、またはさんいちろう。キューバ人は単純にミゲルと呼ぶ)は青年の島の最高齢者でしたが、キューバ全体でも今現在では最高齢だったかもしれません。
彼は明治40年、1907年12月24日、日本の新潟県で生まれ、1928年春、5月6日にキューバに来ました。日本では子どもの日としてお祝いをする日の翌日です。彼は最期を迎える日まで、明るく幸せに満ちた子どものように生き、キューバでその生を全うしました。彼は「私はもうキューバ人だ。日本での年月よりずっと長くここにいるのだから」と言っていました。
2009年6月16日、在キューバ日本大使館から、かの国の総理大臣に任命された当時の日本大使 西林万寿夫さんをはじめとする代表の方々が島に来られました。
彼が「不平も言わず、不足を嘆かず生きてきた」と108歳になるまで誇らしく言っていたことはよく知られています。109歳になるまで残すところあと6カ月でありました。私たちは、彼を細心の心遣いでお世話をしてきた施設の働く人たちや仲間たちに看取られ、静かに、そして誇りに満ちて旅立ってゆくのを見守りました。彼らは、きっと彼の不在を寂しく思うことでしょう。

島津さん、どうか安らかにお眠り下さい。

私の哀悼の意が届きますように。
ナンシー・オロペサ・バルセロ
青年の島 湊家

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日本語訳—Sra. Kumiko Murakami

 

 

 

A Cuba y Japón los invade una gran tristeza hemos perdido un símbolo de la emigración japonesa.

Un símbolo de la emigración japonesa, acaba de fallecer el pasado domingo 10 de julio de 2016, su sepelio se efectuó el lunes a las 3:00 pm, conducido por la dirección del Hogar de ancianos Francisca Navia Cuadrado, La Sociedad de la Colonia Japonesa de la Isla de la Juventud, la Dirección Sectorial de Salud Pública y su departamento de Atención al Adulto Mayor, el Gobierno y el Partido Municipal, y la prensa localidad.

Se le hizo guardia de honor por los allí presente y presidía su funeral la corona enviada por el excelentísimo señor Watanabe Masaru, Embajador del Japón en Cuba, las del Partido y Gobierno local, y otras de las familias de descendientes y de sus amigos y dirección del Hogar de Ancianos que lo acogió en su seno como uno de los más distinguidos de sus hijos.

Miichiro Shimazu Kumazu san (Sanichiro o simplemente Miguel para los cubanos) es quien acaba de fallecer, el adulto mayor de más edad de la Isla de la Juventud, y posiblemente el hombre que más haya vivido hasta la actualidad en Cuba.

Nació en Niigata, Japón un 24 de diciembre de 1907, Año 40 de Meiji. Llegó a Cuba en la primavera de 1928, mayo seis, un día después de celebrarse en Japón el día de los niños y de esta forma como un niño alegre y feliz vivió en Cuba hasta sus últimos días, el mismo decía que ya era cubano, por haber vivido más tiempo acá que en Japón.

En junio 16 de 2009, llegaba a la Isla una delegación de la Embajada del Japón en Cuba, encabezada por el entonces Embajador excelentísimo señor Nishibayashi Masuo, quien lo condecoraba en nombre del Primer Ministro de su país.

Él siempre expreso que había vivido, sin quejas y sin faltas, y así con esos honores, es reconocido hasta la honrosa edad de 108 años, y solo faltando seis meses para llegar a los 109 años de edad, lo hemos visto partir en breve y silenciosamente, llenando de orgullo a esos trabajadores y compañeros del hogar, que lo cuidaron y mimaron con tanto esmero, y que mucho lo extrañarán.

Desde sus 100 años (2007), el joven Nakano Kenta san su coterráneo japonés ha historiado su vida, y ya cuando estaba a punto de terminar su historia, que triste noticia para todos, Cuba y Japón pierden un símbolo, de la emigración japonesa a Cuba, el último en despedirse, Shimazu san, Descanse en Paz.

Llegue mis más sentidas condolencias, por tan sensible pérdida.

Nancy Oropesa Barceló

Familia Minato de la Isla de la Juventud.

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2015年 11/30(月)

 ICAPの職員と接する最後の日。荷物整理をし、残った品物を渡す。
 貰った土産も多く、結構な重さになる。ガラス製品が心配だ。
 夕方にウリシート(ヨシコの甥・医大生)にエドワルドへの荷物を預け、時計を渡す。
 夜、ナンシーの家へ島津さんのいる老人ホームへのタオルを手渡す。島津さんは108歳、唯一の日系1世である。

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2015年 11/29(日)

 11時頃、昼食はサンドイッチ、8ペソ(50円)。日曜日は店も休みで家族が楽しむ日。子どもは観覧車に乗り、また、公園では家族皆でwi-fiを楽しんでいた。
 2時にナンシーの家へ行き、日本好きな若者へ日本の品物を渡す。オタクの女子大生は「ワンピース」に感激してくれた。折り紙好きでカワイイものに興味を持っている。日曜日は家族で集まる日、あんまり集まりがよくない。
 4時に帰宅、ガードマンへ日本語を教える。これは難しい。
 また、前回知り合ったオタクの男教師からキューバの竹で作った竹トンボと箸を貰う。竹とんぼは十分に飛んだ。

広場の公園の観覧車、1ペソで楽しめる
広場の公園の観覧車、1ペソで楽しめる
広場の500m以内はwi-fi利用可、PCやスマホを持った人達が夢中で楽しむ
広場の500m以内はwi-fi利用可、PCやスマホを持った人達が夢中で楽しむ
ナンシーが組織する13歳から25歳まで日本好き若者、日本の踊りや歌を演じてくれる
ナンシーが組織する13歳から25歳まで日本好き若者、日本の踊りや歌を演じてくれる
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2015年 11月27日(金)

 午前、ヘススとオートバイの話をする。ムンドバットとの連絡が取れ、リストを準備するそうだ。ただ、昨日、エドワルドから聞いた電気自転車の話もした。月曜日に間に合えば、お金をおいていく予定にする。他にJICAと会ったこと、関口君の留学の話をする。
 午後に洗濯物をタマラの家に行く途中で写真を配る。
 午後5時にベリンダの家へ行き、プレゼントを持っていく。ベリンダは来年15歳のイベントを控えており、妹のイバニアは12月が誕生日である。バスタオルやトランプを渡すと喜んでくれた。そのトランプでババ抜きをすると本当に楽しんでくれた。
 松矢さんと彼のスペイン語の先生、私のお土産を渡してくれたが、ガラス製品と瀬戸物だった。高価で割れやすく非常に困った。松矢さんには手紙つき、帰国したら直ぐに松矢さんに届けなきゃ。
 夕方ノボル・タマラ夫婦に夕食を招待され、ビールを持参する。久しぶりにキューバのビール「クリスタル」を飲んだ。メインは魚のハンバーグ、手間が掛かる料理を堪能する。

ベリンダ、イバニア姉妹からのガラス製のプレゼント、高価で割れやすい品物を
ベリンダ、イバニア姉妹からのガラス製のプレゼント、高価で割れやすい品物を
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2015年 11/23(月)

 クバポン訪問団の日程は9時30分にフカロの小学校を皮切りに、診療所、博物館を見て、昼食、終了後、ホテルコロニーへ行き、カリブ海の海岸で一休み、この場で日系人会の家やクバポンの稲作支援金の活用が話し合わせたようだ。
 その後、日系人会の家の敷地を見て、夕食会で日程終了。

クバポン訪問団の視察先の小学校の授業風景
クバポン訪問団の視察先の小学校の授業風景
クバポン訪問団の視察先の診療所での説明風景
クバポン訪問団の視察先の診療所での説明風景
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2015年 11/18(水)

 メヤに行くため、待っていると今日はベニーテスの都合が悪いため、行けなかった。
 時間ができたため、ICAPのペンキ塗りを手伝う。キューバの家は基本的にはコンクリートでできており、ペンキで保護している。翌日の行事のため、10時まで働いた。
 その間、大使館に電話し、鳥取大学の関口君が留学で学びたい「都市農業について」の手がかりを求め、大使館で畑を管理している日系人の大江さんを紹介してもらい、電話番号を教えて貰った。また、22日のビールを買い出しに行く時、クラウディアに会う。

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2015年 11/10(火)

 シロレドンドへバスで向かう。概ね定刻どおり。少しびっくり。
 エドワルドの家でモグサの話を聞く。キューバのヨモギ(モグサの原料)は葉がやや小ぶりであが、香り、味等は同じのようである。蓬の製法について聞かれたが、分からないのでヨシコが新潟に来た時、工場へ案内することにする。犬のイチゴは死んだので少し寂しい。
 9時過ぎにアルベルトの田んぼで除草作業。32度以上の気温での作業、2時間が限界である。これ以上は熱中症になると思われる。ベルタがつくった昼食を食べる。懐かしい。帰り際、クバポン訪問団に供する豚を見せてもらった。やや小ぶりだが、メンバーで食べる分には十分である。食べ過ぎに注意が必要である。
 エドワルドの家で夕食をご馳走になる。魚のフライ等、非常に美味しい。果物等も貰うが、今の時期、少ないとのこと。
 バス停で待っていると蚊がよってきた。ヘロナではほとんどいないが、場所によって違う。
 ナンシーの家に寄る。ナンシーは12日から1週間、ハバナに行くとのこと。
 また、大使館から貰った表彰状を見せてもらう。

アルベルトの田んぼでの除草作業、去年より少ない
アルベルトの田んぼでの除草作業、去年より少ない
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2015年 11/9(月)

 朝食を食べに行く途中に「松矢さんのキューバの孫」のベリンダにお土産を渡す。松矢さんの健康を心配していた。
 午前10時にイミグラシオンでビザの確認をしてもらう。
 その後、ベニータの家へ行き、ベニータの姪の写真を渡す。ベニータはしきりにヨシコがいつキューバに帰るのか心配していた。
 午後は日本へ送る文書作成。夕方にナンシーに電話する。

松矢さんの孫?のベリンダの家族と友達、贈り物を喜んでいた
松矢さんの孫?のベリンダの家族と友達、贈り物を喜んでいた
ベニータが姪の写真を見ている
ベニータが姪の写真を見ている
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2015年 11/7(土)

 6時に起床。7時にノボルの家で朝食を食べる。タマラも元気そうである。
 午前中は荷物整理を行う。午後買い物に行くと日本人の夫婦に会う。サンチェゴデキューバ行きがキャンセルとなり、急遽来たとのこと。島で観光客に始めてあったのでびっくりした。
 水とマッチ、コーヒーカップを買う。ライターとジュースは買えず。夕方、ノボルが洗濯物をとりにやってきた。日本人の家について、連絡してもらう。

ウエカワヨシコからエドワルドに届けた荷物
ウエカワヨシコからエドワルドに届けた荷物
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