18日にシロレドンドに行けなくなった為、急きょ行く。小学校へボールペンを持っていく。朝礼をしていた。
寒波が入っているため、暑くはないが、作業は大変である。11時に終了し、昼食は魚だったが、お腹の調子が悪く、多くは食べられなかった。22日にビールの手配はヘロナですることにする。バス停へ向かう途中、子ども達に声を掛けられたが、分からなかった。写真でごまかす。
1時30分のバスでヘロナに帰る。牛乳をタマラに渡し、お茶をご馳走になる。昼寝をし、夕食抜きで過ごす。夜ひどい嵐。
「キューバ農作業」カテゴリーアーカイブ
2015年 11/12(木)
朝6時のバスでシロレドンドへ行く。エドワルドの家に行き、蚊取り線香と醤油を渡す。モグサの原料のヨモギの話になり、畑へキューバのヨモギを見に行く。日本のより葉が小さく、冬枯れないので大きな株になっていた。夕方には摘んで乾燥させてあった。7時30分過ぎにアルベルトの馬車で畑へ向かう。8時過ぎにクサネムを主に草取りの実施。暑さで11時には作業終了。作付け品種の名前は Perra だった。昼食はスパゲッティー、相変わらず軟らかいうどんのようだった。昼にノボルから電話があり、ハバナに渡る船の切符が取れたとのこと。料金は50CUC、飛行機より高い。迷ったが、飛行機が遅れるのがいやで船を選んだ。
4時ごろ、エドワルドの家へ戻り、夕食は豚肉だった。野菜が食べられて良かった。
2015年 11/10(火)
シロレドンドへバスで向かう。概ね定刻どおり。少しびっくり。
エドワルドの家でモグサの話を聞く。キューバのヨモギ(モグサの原料)は葉がやや小ぶりであが、香り、味等は同じのようである。蓬の製法について聞かれたが、分からないのでヨシコが新潟に来た時、工場へ案内することにする。犬のイチゴは死んだので少し寂しい。
9時過ぎにアルベルトの田んぼで除草作業。32度以上の気温での作業、2時間が限界である。これ以上は熱中症になると思われる。ベルタがつくった昼食を食べる。懐かしい。帰り際、クバポン訪問団に供する豚を見せてもらった。やや小ぶりだが、メンバーで食べる分には十分である。食べ過ぎに注意が必要である。
エドワルドの家で夕食をご馳走になる。魚のフライ等、非常に美味しい。果物等も貰うが、今の時期、少ないとのこと。
バス停で待っていると蚊がよってきた。ヘロナではほとんどいないが、場所によって違う。
ナンシーの家に寄る。ナンシーは12日から1週間、ハバナに行くとのこと。
また、大使館から貰った表彰状を見せてもらう。
2015年 11/8(日)
朝6時30分のバスでシロレドンドのエドワルドの家へ荷物を届けに行く。荷物はモグサ4kgの他にお灸の道具、野菜の種、写真等で大荷物であった。
また今日はルイス(アルベルトの兄、エドワルドのいとこ)の誕生日とのこと。9時30分にベルタの家に出発。豚の丸焼きをつくっていた。子ども達にはスーパーボールとボールペン、大人にはタオルを土産として渡す。アルベルトの田んぼへ状況を見に行く。6月に撒いた種は芽が出ずに他の品種ペニャを8月13日に播種したとのこと。一部は手植えを行い、非常によくなったとのこと。他の公社の稲は除草剤を散布が遅れたこと、肥料を撒かなかったことで出来がよくなかった。アルベルトからベトナムのもち米の種と精米機がほしいというリクエストがあった。要検討。
昼食を頂くが、前回油のとりすぎで腹を壊したことからなるべく豚の皮を食べなかった(何でもなかった)
3時過ぎにエドワルドから電動自転車でヘロナまで送ってもらう。
4時過ぎにエステバンとノボルとで今後の活動日程、11月のクバポン訪問だの日程、日本人の家について検討する。6時に終了。少し休んで7時に夕食をとりに行く。
2015年 6/22(月)
6/22(月)
胃の調子が悪く、朝食は水物だけとした。
メヤに行くため、8時30分に車が来るのでノボルとICAPで待っていたが、車がまた故障し、代車が10時近くに到着した。途中、ヘススを拾う予定だったが、見つけられなかった。後で聞いたら林の中にいて気づかなかったとのこと。
10時30分に到着、田植えをする予定のひとに案内してもらう。2人いたが、両人ともロスパラシオスに視察に行った者である。品種はセレクション1とLP5とのこと。作付けする場所の準備がまだ済んでいない。何れも10m×10m程度の小面積で実施するそうである。研修の成果が出ているように思われてうれしかった。
なお、新しいコンバインを買った模様だが、詳細は分からない。
午後調子が悪く、寝て過ごした。夕方、ノボルの家へ野菜スープを食べに行く。
2015年 6/16(火)
6/16(火)
今日、メヤ地区へノボルともに行く。島の農業会社の車でベニテス氏も同伴した。彼は稲、豆のスペシャリストで各地の指導をしている。
メヤに着いたが、リーダーがこの日は都合が悪く、詳細は聞けなかった。全体の作付けは183haだが、品種を変えた。今年からハバナの研究所で育成された新品種のセレクション1の種を獲るため、13ha、IYACUBAを106ha作付けしている。残りは従来のLP5と7であるとのこと。
事務所には長靴と防除機が置いてあり、前年には考えられないぐらい農業資材があるように感じた。
また、今年は前年より雨が降りそうとのことで豊作が期待できる。ただし、田んぼが平らでないため、低いところでは芽が出ず、追い播きをしていた。
また、ベニテス氏の案内で水路を整備している現場を案内してもらった。前年導入したパワーショベルとブルドーザーで水路と道を整備しており、貯水池と川からの水を流す整備が終わったら500haまで作付けが可能とのこと。
ベニテス氏の話ではここ以外に大規模な整備を行い、稲作を中心に数百ヘクタール規模で作付けを拡大する計画があるとのこと。来週に事務所で話を聞くことになっている。
帰り道、大学によりヘススに会い、機械の導入状況を聞いてみた。ムンドバットから最終回答が来て、育苗関係一式、田植え機と耕運機、ポンプ、脱穀機一式、防除機一式、コンピュータとプリンター各一台の機材代と運賃、手数料を合わせて79500ユーロとなり、支援金の83000ユーロ内に収まるとのこと。ただし、何時機械が導入されるか不明である。ノボル等は今年中に入ってくると言っている。また、ヘススとともに来週の月曜日に再度メヤに行くことを決めた。ヘススは卒業論文のチェックで忙しい毎日を送っている。
大学からヘロナまで歩いて帰る。炎天下、日焼けをし、疲れる。