朝、ICAPから55年記念の表彰を受け、昼食に招待される。なお、この日、所長のマレリンはニカラグアへの出張とのこと、プレゼントを渡す。
午前、大学のヘススと話す。支援対象地域と行く手段として、オートバイか電気自動車を使ってはどうかと提案し、了解を得る。日本で確認した3,000EUを上限にムンドバットと連絡を取るそうだ。なお、余ったカメラを渡す。
買い物時にベリンダの母親に会い、27日の午後に訪問することにする。
夕方、クラウディアがお土産を持ってたずねてきてくれた。大学はハバナで英語を勉強するそうだ。
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2015年 11/11(水)午後5時まで
2015年 6/16(火)
6/16(火)
今日、メヤ地区へノボルともに行く。島の農業会社の車でベニテス氏も同伴した。彼は稲、豆のスペシャリストで各地の指導をしている。
メヤに着いたが、リーダーがこの日は都合が悪く、詳細は聞けなかった。全体の作付けは183haだが、品種を変えた。今年からハバナの研究所で育成された新品種のセレクション1の種を獲るため、13ha、IYACUBAを106ha作付けしている。残りは従来のLP5と7であるとのこと。
事務所には長靴と防除機が置いてあり、前年には考えられないぐらい農業資材があるように感じた。
また、今年は前年より雨が降りそうとのことで豊作が期待できる。ただし、田んぼが平らでないため、低いところでは芽が出ず、追い播きをしていた。
また、ベニテス氏の案内で水路を整備している現場を案内してもらった。前年導入したパワーショベルとブルドーザーで水路と道を整備しており、貯水池と川からの水を流す整備が終わったら500haまで作付けが可能とのこと。
ベニテス氏の話ではここ以外に大規模な整備を行い、稲作を中心に数百ヘクタール規模で作付けを拡大する計画があるとのこと。来週に事務所で話を聞くことになっている。
帰り道、大学によりヘススに会い、機械の導入状況を聞いてみた。ムンドバットから最終回答が来て、育苗関係一式、田植え機と耕運機、ポンプ、脱穀機一式、防除機一式、コンピュータとプリンター各一台の機材代と運賃、手数料を合わせて79500ユーロとなり、支援金の83000ユーロ内に収まるとのこと。ただし、何時機械が導入されるか不明である。ノボル等は今年中に入ってくると言っている。また、ヘススとともに来週の月曜日に再度メヤに行くことを決めた。ヘススは卒業論文のチェックで忙しい毎日を送っている。
大学からヘロナまで歩いて帰る。炎天下、日焼けをし、疲れる。
2015年 6/9(火)
6/9(火)
9時に車に乗り、大学へノボルと一緒へ向かう。
大学ではヘススはじめ、5人が対応してくれた。
ビザのことで御礼をした後、草の根無償支援協力事業の進捗状況を確認した。
入札内容を検討し、コルバスカ(コロンビア)に決めて、発注をしたが、現在、価格面・輸送手段をめぐり、仲介役のムンドバットとの交渉中であるとのこと。具体的な進展状況は確認できないが、8月か、9月まで掛かるかもしれないとのこと。事前の連絡では6月の末に機械が導入されるかもしれないとの情報が入ったことから非常に残念だ。最終的に発注した機械について、後で確認するが、コンピュータとプリンターはこの中に入っているが、オートバイは予算の関係で入っていないとのこと。3000から4000ドルとのこと、どうするか帰って検討すると返事をする。なぜかというとこの状況が各農家に連絡がされておらず、キューバでは交通手段も大切であると思われるからである。また、部品について確認したが、重要な部品はこの中に含まれているとのことだ。
また、ロスパラシオスの指導者は機械が導入され次第、来て指導してくれることになった。
最後にメヤへは6月12日(金)に伺うことになった。LP5は止めてもっと多収性のある品種、ペェラというそうだ。なお、デマハグアもそうだったメヤも水不足だそうだ。
今は大学の卒業準備で忙しいとのこと、詳細は後で聞くことにする。ヘススからパイナップルとマンゴを貰う、感謝。
ICAPで音楽が聞こえると思ったら、誕生会をやっていた。少し飲み、踊っていた。呼ばれて日本酒を振舞った。その時も雨が降った。
夕方、ナンシーに招待されて夕食をご馳走になる。鳥のから揚げと黒豆のポタージュはうまかった。なお、新潟の女流書家の書が題字の日本酒をナンシーに渡す。大変喜んでくれた。ナンシーは紙を染める「もんかけ」をしつこく見せられる。13日(土)にフカロに行くことにした。
ICAPに帰ると男が2人来たとのこと。後で分かったが、ノボルとエステバンだった。ノボルには夕食のことを話していたが、忘れていたようだった。
4/25
4/21(月)
今日は大学へ訪問し、ヘロナでいくつかの用事を済ませる日。
8時30分まで待ったが、車が来なかった。エステバンが電動自転車を運んできた。バタバノを夜11時に出発、ヘロナに6時到着。お疲れ様でした。なんとか、船に乗れてよかった。
ヒッチハイクのため、バス停へ。稲作組合会長のホルヘに出会う。メヤ地区は2月に100ha種まきを終え、6月に収穫予定。また、ベトナムからの支援で、田植え機、収穫機が来ることになっているとの話である。ただし、実施できるかが疑問、また、壊れることを考えると草の根無償支援協力もそのまま続けたほうがよいと思う。
ヘロナまでヒッチハイク、ヘロナから大学までタクシー乗車。乗り物の確保は大変である。
大学では下記の点を行った。
1.国際関係のホルヘ先生とヘスス先生からビザについて、説明を受ける。イミグラシオン(出入国管理事務所)へ行け。労働ビザでは普通、一般家庭には泊まれないとのこと。ビザの期間も説明を受けたい。今日は時間がないので明日早朝に行くことにする。
2.インターネットの使用許可は貰ったものの、有料メールサイトが開けず。とりあえず、村上さんへメールを送り、転送してもらう。今後、ヘスス先生のアドレスを使い、転送メールとしたい。
3.プロジェヘクト会議を26日(金)に予定した。
4.同僚から貰ったプロジェクターを寄贈した。大変喜んでいた。
大学からヘロナに行く車を待つ間、宮沢ノボルさんに5月のCUBAPONの訪問内容を相談。
特に文化交流と懇談会は責任を持つとのこと、文化交流はナンシ-と相談するとのこと。加えて、日本のパスポートを取得するため、戸籍謄本が必要で日本に住むいとこに連絡するとのこと。5月の訪問団からこれを持参してもらうため、アイエフシーへ電話連絡して貰うこととした。鎌田さん、よろしくお願いします。
昼食は人民ペソの店で上川さん、エステバンさん、宮沢さん、ナンシーさんの5人で囲む。文化交流は会場をICAPとするが、5月12日が平日のため、午後5時に懇談会、その後6時から8時でどうかと相談がまとまる。
バス時間まで買い物、タバコ・鍵・ライターを購入、携帯電話は売り切れ、電動自転車のためのチェーンは売っていなかった。その後、日系2世の伊波ベニータさん宅を訪問し、18時のバスに乗る。安いが、満員で暑くて大変である。屋根の上から携帯電話で鎌田さんに電話する。文化交流が5月11日と知り、変更は聞いていない。
メールが旨く機能せず、携帯電話も普段使えず、通信手段の検討が必要である。
ものも無いので活動は大変である。