「Nueva Gerona」タグアーカイブ

2015年 6/25(木)

6/25(木)
 胃の調子もだんだんよくなってきた。
 メールを送ってもらうため、7時にノボルの家へ行く。
今日はシロレドンドに行く日。電気自転車で行くのでゆっくりできる。
9時頃、エドワルドの家に着く。ヨシ子に見せるために畑、豚の様子を写真に撮る。
その後、アルベルトの田んぼへ行く。アルベルトはハバナに行っていていないが、先週播種した苗床を見る。まだ芽が出ていないため、場所がよくわからなかった。去年、経験しているので田植えはできると思う。日陰の温度計で10時30分頃、既に32℃を超えていた。6月は陽が射すと本当に暑い。昼食をご馳走になり、1時のバスに乗るため、早めに切り上げる。
エドワルドの家に戻ると、エドワルドからヨシ子に渡す荷物を受け取る。タバコ、コーヒー、薬、黒豆、そして、手紙を受け取る。また、日本のヨモギの種がほしいとのこと、新潟で生産されているのがわかった。
1時30分のバスを待っていると女の子がノートに花の絵を粗末な鉛筆で書いていた。絵を描くのが好きなこの子に4色ボウルペンを渡す。アリガトウといわれたが、外人が怖かったのかもしれない。農村部ではまだまだ貧しく、子ども達への支援も必要と思われる。
2時ごろ、ヘロナへ。ベルタに牛乳を渡す。
夕方、ノボルとエステバンが来て、ハバナへの船の切符のことと23日のメヤへの車代について、話をした。船賃に50cuc、車代に33cuc渡す。車代が高すぎと思うが代わりの手段が無い。燃費が悪く、ガソリン代が高い。前回も書いたが、生産を阻害している。
大学のヘススと食事をするとして待っていたが、来なかった。キューバではよくあることだが、待つのも仕事である。

シロレドンドのアルベルトの田んぼ、ここに種をまいたのだが、芽が出ていない
シロレドンドのアルベルトの田んぼ、ここに種をまいたのだが、芽が出ていない

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2015年 6/16(火)

6/16(火)
 今日、メヤ地区へノボルともに行く。島の農業会社の車でベニテス氏も同伴した。彼は稲、豆のスペシャリストで各地の指導をしている。
 メヤに着いたが、リーダーがこの日は都合が悪く、詳細は聞けなかった。全体の作付けは183haだが、品種を変えた。今年からハバナの研究所で育成された新品種のセレクション1の種を獲るため、13ha、IYACUBAを106ha作付けしている。残りは従来のLP5と7であるとのこと。
事務所には長靴と防除機が置いてあり、前年には考えられないぐらい農業資材があるように感じた。
また、今年は前年より雨が降りそうとのことで豊作が期待できる。ただし、田んぼが平らでないため、低いところでは芽が出ず、追い播きをしていた。
 また、ベニテス氏の案内で水路を整備している現場を案内してもらった。前年導入したパワーショベルとブルドーザーで水路と道を整備しており、貯水池と川からの水を流す整備が終わったら500haまで作付けが可能とのこと。
 ベニテス氏の話ではここ以外に大規模な整備を行い、稲作を中心に数百ヘクタール規模で作付けを拡大する計画があるとのこと。来週に事務所で話を聞くことになっている。
 帰り道、大学によりヘススに会い、機械の導入状況を聞いてみた。ムンドバットから最終回答が来て、育苗関係一式、田植え機と耕運機、ポンプ、脱穀機一式、防除機一式、コンピュータとプリンター各一台の機材代と運賃、手数料を合わせて79500ユーロとなり、支援金の83000ユーロ内に収まるとのこと。ただし、何時機械が導入されるか不明である。ノボル等は今年中に入ってくると言っている。また、ヘススとともに来週の月曜日に再度メヤに行くことを決めた。ヘススは卒業論文のチェックで忙しい毎日を送っている。
 大学からヘロナまで歩いて帰る。炎天下、日焼けをし、疲れる。

メヤの田んぼ、生育が良いが一部雑草が生えている
メヤの田んぼ、生育が良いが一部雑草が生えている
メヤで水路と道をつくっている現場
メヤで水路と道をつくっている現場
大学でヘススと機械の導入状況を確認
大学でヘススと機械の導入状況を確認
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2015年 6/3(水)

6/3(水)
 朝5時にレイコさん宅出発、朝から空港で待っているが、遅れに遅れて、2番機(前日の乗り残し者分)は11時にチェックインしたが、中では1番機も飛んでいなかった。午後に1番機が飛んだが、また、戻ってきた。1番機は午後11時頃出発、我々の2番機は午前1時30分にようやくハバナを出発し、2時過ぎにヘロナに到着。しかし、誰も待つ人がいなく、レイコさん経由でエステバンに迎えに来てもらう。

夜2時過ぎにヘロナに着いた飛行機
夜2時過ぎにヘロナに着いた飛行機
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2015年 6/2(火)

6/2(火)
 12時にチェックアウト後、両替したが、1万円で76cucだけ、多い時の2/3にしかならず。タバコのみ購入し、日本大使館を訪問。駒瀬3等書記官と談話、稲作プロジェクトはどこまで進んだかわからなかった。また、クバポン等で支援を計画している日系人の家についても支援できるかどうか分からなかった。協力をお願いした。
 外務大臣の訪問時は大変だったこと、また、約束したプロジェクトは医療と農業関係とのことだった。
 2時20分に空港へ出発。ヘロナ行きの飛行機は島が悪天候で朝の便も出発できず。結局この日は飛ばないことでよく日送りとなった。レイコ宅に止めてもらう。夕食時に「1月以降、日本人が多くキューバに来て大変忙しい」「経済は個人経営の拡大でがんばりもあるが、物価も上がって大変である」とのことだった。

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6/25(水)

 午前、スペイン語の勉強、ヘロナの町を散歩。
 午後、13時のバスでシロレドンドへ電動自転車を取りに行く。バスは満員でようやく乗れる。
 アルベルトに籾殻の話をする。トラクターの借り賃、燃料費を渡す。
 6時にヨシコの家を出て、貰った野菜を持って帰る。

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6/22(日)

 10時にエステバンとノボルともに車の部品を見つけにヘロナを回り、修理するも直らず、押しがけは解消されず。そのため、デマハグアに行く予定だったが、いけず。
食事に気を使ってもらい、肉・魚と野菜が付くメニュー、ヘロナでは全て購入のため、大変だと思う。タマラに感謝。

キューバの子どもはおしゃれ、子どもは大切に、そして金をかけて育てている
キューバの子どもはおしゃれ、子どもは大切に、そして金をかけて育てている
ノボルの車の修理、部品を集めて、直せる人に頼む。時間がかかる
ノボルの車の修理、部品を集めて、直せる人に頼む。時間がかかる
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6/3(火)

 午前、坪刈したモミの調整。
 午後、1時30分のバスでヘロナへ、20日ぶりである。
 イミグラシオンへ行くとビザは1ヶ月更新とのこと、何とかしてもらう。
 次は6月12日に来るようにとのことだった。感謝
 ノボルの家でノボルのパスポート取得の件、車のタイヤの件を話す。
 6時のバスで帰る。疲れる。ビールを購入。

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