6/18(木)
朝食に向かう途中に日本のオタクに声をかけられた。あだ名はリュウだそうだが、大学の先生のようだ。日本のコインをあげると喜んでいた。ワンピース・ナルト・ブリーチのほかにコナンまでが放映されているようだ。
午前中にエステバンとノボルが来る。今後の予定を聞いてきたが、全体を集めることはしないと話した。機械が揃ったらば一度全体で集まる会をすれば良いと思う。次回には機械が揃っているか?
ICAPに配給品が来たが、米18kg、黒豆9kg、砂糖50kgである。これで昼食の材料にすると思われる。15人いるから20日とすると1日当たり米50g、黒豆25g、砂糖100gの計算になる。砂糖だけ異様に多く、どれだけ食べるのかと思う。
レイコさんに電話をする。6月末のハバナのホテルの予約の確認と、11月のクバポンの島への飛行機の時間を連絡してもらうように頼んだ。また、ポンプの部品の受け取り先も引き受けて貰った。
夕食時にエステバンが友達を連れていつものレストランに来る。ハバナに住む船長と技師。一人は日本語を喋り、英語を喋った。サラリーも良いようで土曜日までいるとのこと。
6/3(水)
朝5時にレイコさん宅出発、朝から空港で待っているが、遅れに遅れて、2番機(前日の乗り残し者分)は11時にチェックインしたが、中では1番機も飛んでいなかった。午後に1番機が飛んだが、また、戻ってきた。1番機は午後11時頃出発、我々の2番機は午前1時30分にようやくハバナを出発し、2時過ぎにヘロナに到着。しかし、誰も待つ人がいなく、レイコさん経由でエステバンに迎えに来てもらう。
6/2(火)
12時にチェックアウト後、両替したが、1万円で76cucだけ、多い時の2/3にしかならず。タバコのみ購入し、日本大使館を訪問。駒瀬3等書記官と談話、稲作プロジェクトはどこまで進んだかわからなかった。また、クバポン等で支援を計画している日系人の家についても支援できるかどうか分からなかった。協力をお願いした。
外務大臣の訪問時は大変だったこと、また、約束したプロジェクトは医療と農業関係とのことだった。
2時20分に空港へ出発。ヘロナ行きの飛行機は島が悪天候で朝の便も出発できず。結局この日は飛ばないことでよく日送りとなった。レイコ宅に止めてもらう。夕食時に「1月以降、日本人が多くキューバに来て大変忙しい」「経済は個人経営の拡大でがんばりもあるが、物価も上がって大変である」とのことだった。
荷物整理と資料作成。
日本大使館とレイコツアーに電話。
夜、松矢さんに電話。
ナンシーから電話あり。土曜日に昼食の招待を受ける。
シロレドンドのお別れ会用にようやくコーラ2本を買う。物がない時はどこにも無い。
DVDを見て過ごす。本購入。
レイコツアーに電話。ホテルを確保したこと、カナダエアーの予約もできているとのことだった。
夕方、ノボルから大使館の草の根無償支援協力の許可が下りたと連絡が入る。
レイコツアーへ電話。9月26日から29日までのハバナでのホテルの件。
シロレドンドに七面鳥を取りに行く。10kg近くの大きなものだった。タマラに喜ばれる。
日本ではあまり食べないと言うとキューバ人はみなびっくりする。(私自身だけか)
午前中、ヘロナの町を散歩。
9月26日の切符が手に入ったと連絡がある。また、ノエルに連絡し、メールの転送を再度頼む。
松矢さんから電話あり、メールをレイコツアーに送るように頼む。
大雨が降る。
本を読んで過ごす。
午後、レイコツアーに連絡し、9月26日のハバナへ行く飛行機の切符とメールの転送を頼む。
ノボルが帰宅後、フカロに連絡し、土曜日に訪問することにした。雨は降り始めたが、草も出始めている。
ヘススに連絡がつき、日曜日に訪問することにする。
松矢さんに電話する。
午前、散歩・買い物、午後は本を読んで過ごす。
レイコツアーは誰もいないとのこと。
本を読んで過ごす。レイコツアーとの連絡がつかず。
ノボル夫婦から1980年代の物資が豊富で生活も安定していた話を聞く。
ソ連からの石油資源と東欧からの物資により成り立っていたことが分かる。その当時は他の支援は必要なかった。
CUBAPON El proyecto de arroz en la “Isla de la Juventud”