シロレドンドへビール等を運び、その後草取りをする。少しずつは綺麗になっているがまだまだ草が残っている。
エドワルドの母豚が19日に出産、11匹産む。
1時30分のバスでヘロナへ帰る。
3時過ぎにICAPの55周年記念レセプションの食事かに招かれ、ご馳走になる。日本酒を提供。
4時過ぎに日本大使館主催の日本文化週間の開会式会場へ行き、大使館の伊藤さんと会う。
伊藤さんによると飛行機が遅れたことと受け入れ側の対応が悪く、人集めに苦労していた。プラカードを持っての宣伝を手伝う。
8時過ぎにICAPの記念集会、その後、日本文化集会の開会式へ参加した。疲れる。就寝12時すぎ。
「在キューバ日本大使館」タグアーカイブ
2015年 11/18(水)
2015年 11/6(金)
午前中に日本大使館で小林領事と面談。キューバとアメリカとの国交回復で変化は無いそうだ。ただし日本人訪問は1.6倍に増えたとのこと。また、お盆のときにナンシーが文化功労で大使表彰を受けたとのこと、また、その時、日本人の家の説明を受け、大使館でも飾りの設備の支援できないか検討するとのこと。11月下旬から駒瀬3等書記官が島へ訪問するとのことだった。
その後両替したが、1万円で77cucだけ、多い時の2/3にしかならず。タバコとコーヒー購入。2時15分にホテル出発。迎えはオズワルドだった。松矢さんの話をすると非常に心配をしていた。
飛行機は5時15分に出発せず、0時過ぎに出発。1時ごろ、島の飛行場へ到着。エステバンとノボルの出迎えを受け、ホッとする
2015年 6/2(火)
6/2(火)
12時にチェックアウト後、両替したが、1万円で76cucだけ、多い時の2/3にしかならず。タバコのみ購入し、日本大使館を訪問。駒瀬3等書記官と談話、稲作プロジェクトはどこまで進んだかわからなかった。また、クバポン等で支援を計画している日系人の家についても支援できるかどうか分からなかった。協力をお願いした。
外務大臣の訪問時は大変だったこと、また、約束したプロジェクトは医療と農業関係とのことだった。
2時20分に空港へ出発。ヘロナ行きの飛行機は島が悪天候で朝の便も出発できず。結局この日は飛ばないことでよく日送りとなった。レイコ宅に止めてもらう。夕食時に「1月以降、日本人が多くキューバに来て大変忙しい」「経済は個人経営の拡大でがんばりもあるが、物価も上がって大変である」とのことだった。
9/19(金)
8/27(水)
8/17(日)
日系人会のお盆行事のため、9時にお墓へ行く。日本大使館から2人か着ていた。
日系人会のお墓の中は水がたまり、も一度立て直さなければならないとのこと。どうするのか?お墓参りの後、ナンシーたちの踊り・歌・風呂敷等のパホーマンスを見た後、食事をする。
食事後、子ども達の鉛筆等を配るが、数が足りず。特にボールペンのリクエストが多かった。
夕食を日本大使館の2人とノボル、ナンシーとともに食事をする。その時に担当の築山さんと杉本さんが今月で代わることが分かった。名前を覚えると代わってしまう。また、1からはじめなければならない。
夕食後、ナンシーの家でお茶をご馳走になる。松矢さんから貰った2冊の本を喜び、気に入っていた。
4/16
朝食後、両替する。円安のため、1万円で94cuc(※注 CUC…キューバ兌換ペソ)にしかならず、先行き不安。
レイコツアーの車で日本大使館へ、杉本担当が応対、築山2等書記官は休暇中。話した内容は以下のとおりである。
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1 草の根無償支援協力は3月20日に高等教育省へ申請書を出した以降、動きなし。築山2等書記官が帰国後、高等教育省に話しに行く。ムンドバットは許可が下り次第、入札を行うことにしているとのこと。
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2 クバポンが宮沢ノボルさんを日本に招待することを話したら喜んでくれた。ただし、キューバ人が日本へ渡航する場合は、カナダ、メキシコ経由はここ数年なく、ヨーロッパ経由だけとのこと。経費と日程が心配。その後、レイコツアーで昼食をご馳走になり、電気自転車の使い方を見て、購入費用を払う。
電気自転車を島へ運ぶ方法が大変で陸路でハバナからバタバノ、航路でバタバノからヘロナまでの運搬が必要で手間と時間が必要である。
15時に空港へ、荷物が40kgと重量オーバーだったが、追記料金なく、搭乗手続き終了、18時前に出発、18時30分に無事到着。
出迎えはエステバンさん、途中、宮沢ノボルさん宅により日本招待の話をする。大変喜んでいた。上川さん宅で電動自転車の運搬について、相談する。エステバンさんが取りに行ってくれるとのこと、大感謝である。経費とヘルメットを渡す。
プロジェクトのこと、VISAのこと、現地で使う電話のこと等は4月21日に行うこととした。