6/12(金)
朝食時にタマラ(ノボルの妻、英語個人レッスンをしている)にどんな人が習いに来ているか聞いたが、多くは外国、特にUSAに行きたい人が多いそうだ。英語が話せないとこちらで技術を持っていても掃除とかの仕事にしかつけないようだ。
午前9時からメヤ地区に行くつもりが、車の故障で行けなかった。翌週の火曜日となった。故障はよくあることだが、このことが生産活動へ大きく影響している。
午後買い物に行く。ようやく、ライターを手に入れた。この島ではある時に買っておかないと何時手に入るか分からない不安がある。後はコーヒーとミネラルウオーターのでっかいサイズがあればよいのだが。
「青年の島の暮らし」カテゴリーアーカイブ
2015年 6/9(火)
6/9(火)
9時に車に乗り、大学へノボルと一緒へ向かう。
大学ではヘススはじめ、5人が対応してくれた。
ビザのことで御礼をした後、草の根無償支援協力事業の進捗状況を確認した。
入札内容を検討し、コルバスカ(コロンビア)に決めて、発注をしたが、現在、価格面・輸送手段をめぐり、仲介役のムンドバットとの交渉中であるとのこと。具体的な進展状況は確認できないが、8月か、9月まで掛かるかもしれないとのこと。事前の連絡では6月の末に機械が導入されるかもしれないとの情報が入ったことから非常に残念だ。最終的に発注した機械について、後で確認するが、コンピュータとプリンターはこの中に入っているが、オートバイは予算の関係で入っていないとのこと。3000から4000ドルとのこと、どうするか帰って検討すると返事をする。なぜかというとこの状況が各農家に連絡がされておらず、キューバでは交通手段も大切であると思われるからである。また、部品について確認したが、重要な部品はこの中に含まれているとのことだ。
また、ロスパラシオスの指導者は機械が導入され次第、来て指導してくれることになった。
最後にメヤへは6月12日(金)に伺うことになった。LP5は止めてもっと多収性のある品種、ペェラというそうだ。なお、デマハグアもそうだったメヤも水不足だそうだ。
今は大学の卒業準備で忙しいとのこと、詳細は後で聞くことにする。ヘススからパイナップルとマンゴを貰う、感謝。
ICAPで音楽が聞こえると思ったら、誕生会をやっていた。少し飲み、踊っていた。呼ばれて日本酒を振舞った。その時も雨が降った。
夕方、ナンシーに招待されて夕食をご馳走になる。鳥のから揚げと黒豆のポタージュはうまかった。なお、新潟の女流書家の書が題字の日本酒をナンシーに渡す。大変喜んでくれた。ナンシーは紙を染める「もんかけ」をしつこく見せられる。13日(土)にフカロに行くことにした。
ICAPに帰ると男が2人来たとのこと。後で分かったが、ノボルとエステバンだった。ノボルには夕食のことを話していたが、忘れていたようだった。
2015年 6/8(月)
6/8(月)
午前6時のグアグア(乗り合いバス)でシロレドンドへ行く。
シロレドンドのバス停でウリセイ親子に会う。ウリシートは髪型等もだいぶ大学生らしくなってきた。また、父親のウリセイはヘロナへ働きに行っているようだ。
ウリシートへは大阪の緑さんから派手なTシャツを渡したので確認し、手紙を書くように依頼する。
エドワルドの家へ行き、蚊取り線香・蚊避けスプレー等を渡す。朝食を頂き、着替えてアルベルトの田んぼへ行く。アルベルトの母親のベルタに会った。元気そうでよかった。
頼まれた長靴を渡すと喜んでいた。
田んぼに行くと、半分は耕された圃場があり、半分はカラバサ(かぼちゃ)の作付けけがされていた。トラクターが来ないため、耕起ができないとのこと。草の根無償支援事業の耕運機が早くほしいとのことだった。
その後、耕された圃場にはブエ(雄牛2頭による耕起)が来て、耕していった。トラクターが
入れない圃場でも入れるが、プラウ部分が軽く、耕起部分が浅くなるのが残念である。なお、撒くモミはロスパラシオス研究所から送ってもらったとのこと、研修の効果が出ていると思う。
久しぶりにベルタの昼食をご馳走になったが、美味しかった。
午後は雨が続き、今年はシロレドンドで雨が多いことがわかった。
牛乳とマンゴを貰いかえったが、結局グアグアは午後の8時にしか来ず、バス停で1時間30分待つことになった。キューバでは待つことが大事な仕事である。しかし、蚊が多く、20匹以上殺したと思う。
2015年 6/7(日)
2015年 6/6(土)
6/6(土)
朝、ナンシーに着物、書道の教本等を渡す。
9時のバスでデマハグアへ行く。
最初に京子さんへお土産を渡す。足の骨を折り、不自由にしていた。
次にヨアンディーに会い、日本人の家の設計の状況を確認する。
① 2階建て、30坪×2階分ぐらい
② まだ、電気水道等の設計と材料の積算できず、7月末ぐらいまで掛かるとのこと。
③ できたら、政府に申請し、許可が下りれば作業が進むのではないかとのこと。
ヨアンディーとは日本語で会話ができる。
次にマルシアル(ヨアンディーの父親)と会い、ポンプの状況を聞いた。
鎌田さんの持ってきた写真とは少し違うのともうひとつ部品が必要であることがわかった。詳細は写真を別途送る。
圃場が乾いていて、作物を作る状況ではない。話していた井戸もまだ手付かずである。お金はあるのにどうして作らないか不思議である。
2015年 6/5(金)
6/5(金)
午前、イミグラシオンでヴィザの確認、問題なし。
午後、1時のバスでシロレドンドへ、行く。
ヨシ子から頼まれたモグサ4kgのほか、釣り糸、種子用のネット、つめきり等を渡す。また、ウリシ-トへのプレゼントも持っていく。残りの蚊取り線香、長靴等のため、もう一回運ぶ必要である。
今年はどこもマンゴが豊作で早速いただく。
エドワルドの豚が、無事子どもを産んだ。10頭だったとのこと。
アルベルトに会ったが、息子のヨアンディーは大学に合格したが、今は兵役でフカロの近くにいるそうである。
米作りはかぼちゃを収穫後に行う予定でまだ機械が来なくて準備ができない。早く、機械が導入できれば良いのだが。
6月8日に再度行き、圃場を見ることとする。