6/16(火)
今日、メヤ地区へノボルともに行く。島の農業会社の車でベニテス氏も同伴した。彼は稲、豆のスペシャリストで各地の指導をしている。
メヤに着いたが、リーダーがこの日は都合が悪く、詳細は聞けなかった。全体の作付けは183haだが、品種を変えた。今年からハバナの研究所で育成された新品種のセレクション1の種を獲るため、13ha、IYACUBAを106ha作付けしている。残りは従来のLP5と7であるとのこと。
事務所には長靴と防除機が置いてあり、前年には考えられないぐらい農業資材があるように感じた。
また、今年は前年より雨が降りそうとのことで豊作が期待できる。ただし、田んぼが平らでないため、低いところでは芽が出ず、追い播きをしていた。
また、ベニテス氏の案内で水路を整備している現場を案内してもらった。前年導入したパワーショベルとブルドーザーで水路と道を整備しており、貯水池と川からの水を流す整備が終わったら500haまで作付けが可能とのこと。
ベニテス氏の話ではここ以外に大規模な整備を行い、稲作を中心に数百ヘクタール規模で作付けを拡大する計画があるとのこと。来週に事務所で話を聞くことになっている。
帰り道、大学によりヘススに会い、機械の導入状況を聞いてみた。ムンドバットから最終回答が来て、育苗関係一式、田植え機と耕運機、ポンプ、脱穀機一式、防除機一式、コンピュータとプリンター各一台の機材代と運賃、手数料を合わせて79500ユーロとなり、支援金の83000ユーロ内に収まるとのこと。ただし、何時機械が導入されるか不明である。ノボル等は今年中に入ってくると言っている。また、ヘススとともに来週の月曜日に再度メヤに行くことを決めた。ヘススは卒業論文のチェックで忙しい毎日を送っている。
大学からヘロナまで歩いて帰る。炎天下、日焼けをし、疲れる。
「稲作支援プロジェクト」カテゴリーアーカイブ
2015年 6/15(月)
2015年 6/9(火)
6/9(火)
9時に車に乗り、大学へノボルと一緒へ向かう。
大学ではヘススはじめ、5人が対応してくれた。
ビザのことで御礼をした後、草の根無償支援協力事業の進捗状況を確認した。
入札内容を検討し、コルバスカ(コロンビア)に決めて、発注をしたが、現在、価格面・輸送手段をめぐり、仲介役のムンドバットとの交渉中であるとのこと。具体的な進展状況は確認できないが、8月か、9月まで掛かるかもしれないとのこと。事前の連絡では6月の末に機械が導入されるかもしれないとの情報が入ったことから非常に残念だ。最終的に発注した機械について、後で確認するが、コンピュータとプリンターはこの中に入っているが、オートバイは予算の関係で入っていないとのこと。3000から4000ドルとのこと、どうするか帰って検討すると返事をする。なぜかというとこの状況が各農家に連絡がされておらず、キューバでは交通手段も大切であると思われるからである。また、部品について確認したが、重要な部品はこの中に含まれているとのことだ。
また、ロスパラシオスの指導者は機械が導入され次第、来て指導してくれることになった。
最後にメヤへは6月12日(金)に伺うことになった。LP5は止めてもっと多収性のある品種、ペェラというそうだ。なお、デマハグアもそうだったメヤも水不足だそうだ。
今は大学の卒業準備で忙しいとのこと、詳細は後で聞くことにする。ヘススからパイナップルとマンゴを貰う、感謝。
ICAPで音楽が聞こえると思ったら、誕生会をやっていた。少し飲み、踊っていた。呼ばれて日本酒を振舞った。その時も雨が降った。
夕方、ナンシーに招待されて夕食をご馳走になる。鳥のから揚げと黒豆のポタージュはうまかった。なお、新潟の女流書家の書が題字の日本酒をナンシーに渡す。大変喜んでくれた。ナンシーは紙を染める「もんかけ」をしつこく見せられる。13日(土)にフカロに行くことにした。
ICAPに帰ると男が2人来たとのこと。後で分かったが、ノボルとエステバンだった。ノボルには夕食のことを話していたが、忘れていたようだった。
2015年 6/8(月)
6/8(月)
午前6時のグアグア(乗り合いバス)でシロレドンドへ行く。
シロレドンドのバス停でウリセイ親子に会う。ウリシートは髪型等もだいぶ大学生らしくなってきた。また、父親のウリセイはヘロナへ働きに行っているようだ。
ウリシートへは大阪の緑さんから派手なTシャツを渡したので確認し、手紙を書くように依頼する。
エドワルドの家へ行き、蚊取り線香・蚊避けスプレー等を渡す。朝食を頂き、着替えてアルベルトの田んぼへ行く。アルベルトの母親のベルタに会った。元気そうでよかった。
頼まれた長靴を渡すと喜んでいた。
田んぼに行くと、半分は耕された圃場があり、半分はカラバサ(かぼちゃ)の作付けけがされていた。トラクターが来ないため、耕起ができないとのこと。草の根無償支援事業の耕運機が早くほしいとのことだった。
その後、耕された圃場にはブエ(雄牛2頭による耕起)が来て、耕していった。トラクターが
入れない圃場でも入れるが、プラウ部分が軽く、耕起部分が浅くなるのが残念である。なお、撒くモミはロスパラシオス研究所から送ってもらったとのこと、研修の効果が出ていると思う。
久しぶりにベルタの昼食をご馳走になったが、美味しかった。
午後は雨が続き、今年はシロレドンドで雨が多いことがわかった。
牛乳とマンゴを貰いかえったが、結局グアグアは午後の8時にしか来ず、バス停で1時間30分待つことになった。キューバでは待つことが大事な仕事である。しかし、蚊が多く、20匹以上殺したと思う。
2015年 6/6(土)
6/6(土)
朝、ナンシーに着物、書道の教本等を渡す。
9時のバスでデマハグアへ行く。
最初に京子さんへお土産を渡す。足の骨を折り、不自由にしていた。
次にヨアンディーに会い、日本人の家の設計の状況を確認する。
① 2階建て、30坪×2階分ぐらい
② まだ、電気水道等の設計と材料の積算できず、7月末ぐらいまで掛かるとのこと。
③ できたら、政府に申請し、許可が下りれば作業が進むのではないかとのこと。
ヨアンディーとは日本語で会話ができる。
次にマルシアル(ヨアンディーの父親)と会い、ポンプの状況を聞いた。
鎌田さんの持ってきた写真とは少し違うのともうひとつ部品が必要であることがわかった。詳細は写真を別途送る。
圃場が乾いていて、作物を作る状況ではない。話していた井戸もまだ手付かずである。お金はあるのにどうして作らないか不思議である。
2015年 6/5(金)
6/5(金)
午前、イミグラシオンでヴィザの確認、問題なし。
午後、1時のバスでシロレドンドへ、行く。
ヨシ子から頼まれたモグサ4kgのほか、釣り糸、種子用のネット、つめきり等を渡す。また、ウリシ-トへのプレゼントも持っていく。残りの蚊取り線香、長靴等のため、もう一回運ぶ必要である。
今年はどこもマンゴが豊作で早速いただく。
エドワルドの豚が、無事子どもを産んだ。10頭だったとのこと。
アルベルトに会ったが、息子のヨアンディーは大学に合格したが、今は兵役でフカロの近くにいるそうである。
米作りはかぼちゃを収穫後に行う予定でまだ機械が来なくて準備ができない。早く、機械が導入できれば良いのだが。
6月8日に再度行き、圃場を見ることとする。
2015年 6/4(木)
2015年 6/2(火)
6/2(火)
12時にチェックアウト後、両替したが、1万円で76cucだけ、多い時の2/3にしかならず。タバコのみ購入し、日本大使館を訪問。駒瀬3等書記官と談話、稲作プロジェクトはどこまで進んだかわからなかった。また、クバポン等で支援を計画している日系人の家についても支援できるかどうか分からなかった。協力をお願いした。
外務大臣の訪問時は大変だったこと、また、約束したプロジェクトは医療と農業関係とのことだった。
2時20分に空港へ出発。ヘロナ行きの飛行機は島が悪天候で朝の便も出発できず。結局この日は飛ばないことでよく日送りとなった。レイコ宅に止めてもらう。夕食時に「1月以降、日本人が多くキューバに来て大変忙しい」「経済は個人経営の拡大でがんばりもあるが、物価も上がって大変である」とのことだった。