6/5(金)
午前、イミグラシオンでヴィザの確認、問題なし。
午後、1時のバスでシロレドンドへ、行く。
ヨシ子から頼まれたモグサ4kgのほか、釣り糸、種子用のネット、つめきり等を渡す。また、ウリシ-トへのプレゼントも持っていく。残りの蚊取り線香、長靴等のため、もう一回運ぶ必要である。
今年はどこもマンゴが豊作で早速いただく。
エドワルドの豚が、無事子どもを産んだ。10頭だったとのこと。
アルベルトに会ったが、息子のヨアンディーは大学に合格したが、今は兵役でフカロの近くにいるそうである。
米作りはかぼちゃを収穫後に行う予定でまだ機械が来なくて準備ができない。早く、機械が導入できれば良いのだが。
6月8日に再度行き、圃場を見ることとする。
エドワルドの豚に子豚が誕生
6/4(木)
ノボルの家で少し仮眠、8時過ぎにICAP(友好の家)に到着、荷物を運び込み、ノボルと日程等を打ち合わせる。また、今回の食事は朝食がノボルの家だが、昼食・夕食は外とのこととなった。早速昼食はピザを食べた。
午後は日系人2世のベニータを訪問。姪御さんと連絡が付き、便りを渡すと大変喜んでいた。 また、盆踊りメンバーの一人に松矢さんから頼まれた写真を渡すと大変喜んでいた。
日系人2世のベニータさんが姪からの手紙等を読んでいる
日系人会が組織する盆踊りメンバーの一人に松矢さんからの写真を渡す
2014/5 盆踊りのときの写真
6/3(水)
朝5時にレイコさん宅出発、朝から空港で待っているが、遅れに遅れて、2番機(前日の乗り残し者分)は11時にチェックインしたが、中では1番機も飛んでいなかった。午後に1番機が飛んだが、また、戻ってきた。1番機は午後11時頃出発、我々の2番機は午前1時30分にようやくハバナを出発し、2時過ぎにヘロナに到着。しかし、誰も待つ人がいなく、レイコさん経由でエステバンに迎えに来てもらう。
夜2時過ぎにヘロナに着いた飛行機
6/2(火)
12時にチェックアウト後、両替したが、1万円で76cucだけ、多い時の2/3にしかならず。タバコのみ購入し、日本大使館を訪問。駒瀬3等書記官と談話、稲作プロジェクトはどこまで進んだかわからなかった。また、クバポン等で支援を計画している日系人の家についても支援できるかどうか分からなかった。協力をお願いした。
外務大臣の訪問時は大変だったこと、また、約束したプロジェクトは医療と農業関係とのことだった。
2時20分に空港へ出発。ヘロナ行きの飛行機は島が悪天候で朝の便も出発できず。結局この日は飛ばないことでよく日送りとなった。レイコ宅に止めてもらう。夕食時に「1月以降、日本人が多くキューバに来て大変忙しい」「経済は個人経営の拡大でがんばりもあるが、物価も上がって大変である」とのことだった。
6/1(月)
午前10時27分の燕三条駅発の新幹線で東京へ出発。
午後1時にキューバ大使館領事部でビザ申請。最近ツーリストカード等の申請が多くて大変とのこと。
重量制限でおいてきたものが多い上に必要なものを忘れて 羽田で足りないものを買い物。
3時にチェックインカウンターに並び、IFCの鎌田さんから見送りを受ける。
午後5時40分出発、トロント経由も順調にハバナ到着、キューバ入国も問題なかった。
夜10時30分頃、ホテルに入る。最後のお湯でシャワーを浴びる。
※現地での稲作支援活動にひと区切りをつけ、昨年(2014年)9月に日本に帰国した菊田さんですが、その後の「青年の島」稲作栽培の経過と機械の故障などの問題解決を図るべく再度キューバを訪問します。
9月の帰国後、キューバを取り巻く環境が大きく変化を始めるなか、青年の島の人々の生活やキューバへ旅をするにあたり(アメリカとの国交回復前夜のキューバに)どんな変化が起こっているのか、彼の日記形式のメールから感じていただければと思います。
菊田リポート〈青年の島から〉どうぞよろしくお願いいたします。
(サイト管理者より)
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CUBAPON El proyecto de arroz en la “Isla de la Juventud”