6/26(金)
朝、ノボルの家へ行く途中にベリンダの家族から松矢さんへの荷物を預かる。律儀なものである。
午前中、日本へのお土産を買うため、店屋を廻る。コーヒーは6個、DVDを5枚買う。
午後3時にICAPへの宿代として、デジカメを渡す。次回の11月についても了解をとる。
午後4時にデニテスさんが島の稲作のプロジェクトの説明をしてくれるとして待っていたが来ない。待つのが仕事だと思っているが、こう振られるとむなしい。
ノボルの家族とイタリアンレストランへ、高級店で一人5cuc掛かる。たまには良いが、その金で子ども達のために使ったほうが良いと思う。
非常に暑く、寝苦しい夜だった。
6/25(木)
胃の調子もだんだんよくなってきた。
メールを送ってもらうため、7時にノボルの家へ行く。
今日はシロレドンドに行く日。電気自転車で行くのでゆっくりできる。
9時頃、エドワルドの家に着く。ヨシ子に見せるために畑、豚の様子を写真に撮る。
その後、アルベルトの田んぼへ行く。アルベルトはハバナに行っていていないが、先週播種した苗床を見る。まだ芽が出ていないため、場所がよくわからなかった。去年、経験しているので田植えはできると思う。日陰の温度計で10時30分頃、既に32℃を超えていた。6月は陽が射すと本当に暑い。昼食をご馳走になり、1時のバスに乗るため、早めに切り上げる。
エドワルドの家に戻ると、エドワルドからヨシ子に渡す荷物を受け取る。タバコ、コーヒー、薬、黒豆、そして、手紙を受け取る。また、日本のヨモギの種がほしいとのこと、新潟で生産されているのがわかった。
1時30分のバスを待っていると女の子がノートに花の絵を粗末な鉛筆で書いていた。絵を描くのが好きなこの子に4色ボウルペンを渡す。アリガトウといわれたが、外人が怖かったのかもしれない。農村部ではまだまだ貧しく、子ども達への支援も必要と思われる。
2時ごろ、ヘロナへ。ベルタに牛乳を渡す。
夕方、ノボルとエステバンが来て、ハバナへの船の切符のことと23日のメヤへの車代について、話をした。船賃に50cuc、車代に33cuc渡す。車代が高すぎと思うが代わりの手段が無い。燃費が悪く、ガソリン代が高い。前回も書いたが、生産を阻害している。
大学のヘススと食事をするとして待っていたが、来なかった。キューバではよくあることだが、待つのも仕事である。
6/24(水)
昨日の疲れもあり、まだ、胃が痛い。パンを食べたが、昼は抜くことにする。
スペイン語の子どもの本を読んでいるが、去年ほど熱心にできていないように思う。いつも勉強してから来ようと思うのだが、できていないのが実態である。
午後、ベニータが姪御への手紙の返事を持ってきた。ひとつ約束が果たせた。
米作りの成果は上がらないが、人間関係は少しずつ広がっているように感じる。
胃の調子に自信が無いので夕食も抜きにする。
6/23(火)
胃の調子も少し良くなったが、朝食は水物だけにする。
ICAPではカナダからの高校生が15歳の誕生日のお祝いをするとして準備に追われていた。
誕生日の彼女にハンカチをプレゼントする。少しびっくりしていた。飾りつけ等少し手伝う。
買い物をする途中でウリシートと会ったので松矢さんから貰ったゲバラのTシャツを贈った。
夕方、8時過ぎからセレモニーの開始。ドレスで着飾った彼女が入場し、後はキューバ人の出し物、そして踊り続け、11時にようやく終了した。あの年齢はエネルギーが余っており、何が楽しいかとおじさんは思うのだが、日本人の国際交流はこのように盛り上がるのかとか、日本の若者もキューバに来て交流ができればよいと思った。
夕方、6時にノボルとエステバンが来た。船の切符の件、28日の2便、12時頃出発するようだ。また、昨日のメヤの車の清算をする。25Lを使ったので33cuc払う。車が古く、燃費が悪い上にガソリンが日本並みの値段では人も物も自由に移動できず、稲作でも色々検討してみたが、コストに対する見返りが少なすぎるので手を出さないのが実情である。
6/20(土)
特にすることが無く、昼食時にベリンダの母親が働いている床屋の写真を撮る。昼食はピザとボカリージョ、合わせて13ペソ(50円)程度だった。
午後3時頃にICAPに人が集まり始めた。カナダ人を交えたキャンプのようだ。
ICAPのスタッフと1時間ぐらい話をする。
タオルを渡したが、今度もお願いされる。また、日本の食べ物を食べてもらったが、大人には柿の種が好きなようだ。
6/19(金)
今日で3日間、行く所が無く、ICAPに留まる。
朝食、昼食に歩くたびに知っている人に会うようになった。
アンデー(アルベルトの息子)に久しぶり会った。マンガのお礼を言われた。恋人と一緒に高校へ行く途中のようだった。来年から大学生になることが決まり、よかった。
ICAPでは、日系人の徳永由美子(フカロのドナやキヨマの親戚)から日本語でどう書くかと聞かれ、前述のように書いてあげた。また、ヨアンディ(ヘススの息子)のところに来た青年はハバナの大学で日本人に習ってともに合気道をやっていたそうだ。「雪」の文字を日本語で書いてやった。
日曜日がディア・デ・パドレ(父の日)であり、ICAPでもお祝いをしていた。甘そうなケーキを食べていた。
昼食、夕食は個人経営の所で食べているが、常連や家族連れもおり、値段は飲み物代込みで
2~3ドルである。一般的なキューバ人とすれば高いと思われるが、どのような人が来ているのか興味深い。
6/18(木)
朝食に向かう途中に日本のオタクに声をかけられた。あだ名はリュウだそうだが、大学の先生のようだ。日本のコインをあげると喜んでいた。ワンピース・ナルト・ブリーチのほかにコナンまでが放映されているようだ。
午前中にエステバンとノボルが来る。今後の予定を聞いてきたが、全体を集めることはしないと話した。機械が揃ったらば一度全体で集まる会をすれば良いと思う。次回には機械が揃っているか?
ICAPに配給品が来たが、米18kg、黒豆9kg、砂糖50kgである。これで昼食の材料にすると思われる。15人いるから20日とすると1日当たり米50g、黒豆25g、砂糖100gの計算になる。砂糖だけ異様に多く、どれだけ食べるのかと思う。
レイコさんに電話をする。6月末のハバナのホテルの予約の確認と、11月のクバポンの島への飛行機の時間を連絡してもらうように頼んだ。また、ポンプの部品の受け取り先も引き受けて貰った。
夕食時にエステバンが友達を連れていつものレストランに来る。ハバナに住む船長と技師。一人は日本語を喋り、英語を喋った。サラリーも良いようで土曜日までいるとのこと。
6/17(水)
前日の暑さで少し疲れたので休む。色々なところからマンゴを貰うが、食べきれない。
おなじレストランのメニューに少し飽きてきた。
ノボルの家に行く途中で楽団が練習をしていた。
キューバ人は音楽とダンスが生活と切り離せないと思われた。
また、生活の単位は血縁関係のつながりが特に強く、助け合いながら生活をしているのを感じる。加えて、友人・知人がいなければ情報も入らず、生活に支障を来たす。島のような田舎では人間関係が生活の全ての様に感じる。
CUBAPON El proyecto de arroz en la “Isla de la Juventud”