“ 上河ヨシコさんを囲んで ”

さる9月27日、坂戸市にてキューバのフベントゥ島(青年の島)で暮らす “キューバ移民一世” の『上河ヨシコさんを囲む会』が催されました。
ふるさとの日本へ11年ぶりの帰国、キューバで暮らしているからこそ、今の日本に思うこと感じたことを織り交ぜつつ短い時間ながら参加者の皆さんとの交流が行われました。

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キューバをおもって

今年3月、11年ぶりにキューバの島から日本に帰ってきました。
 来てから3日目。知人とアベノで待ち合わせ。
 ケイタイも時計ももっていなかった私は、キューバではどこでも誰にでも尋ねられる“今何時ですか?”という言葉を、誰にもきけずとまどった。
 たくさんの人…。なのにみんな何やら急いでいて、表情は固く、他人をよせつけない。
 キューバのように、ゆったりとにこやかに歩いている人がいない。
 私は、たくさんの人の中で、1人になったようで涙が出てきた。
 キューバであじわったことのない孤独。

 電車に乗ると1人1人話すことなく、ケイタイにむかって下を向く。子どもたちもさわぐことがない。
 キューバの暑い満員バスの中。熱気ムンムン。
 となりの人たちと大声で話し、ワーワーさわぐ子どもたちを、なつかしく思う。

ひとつひとつのアパートの部屋、家々、近所の人たちが、家の外で話しこんだり、楽しんでいるのを見ない。シーンとしている。
 キューバではどこでも窓ごしに通りごしに大声で話し、にぎやか。個々で生きることなぞ想像さえできない。
 キューバで暮らしているキューバ人には、日本の社会は想像もできないことだろう。

 キューバにはコミュニティがあるという。そうだと思う。
 私はキューバで連れあいエドと、畑を耕し、豚を育て、馬車で魚をとりに行ったり、原野に動物や自分たちの食べ物を捜しに行く。
 単調な毎日。でも道行くたくさんの人とあいさつをかわし、その日の米や砂糖、塩等々、なくなったら隣に借りに行き、日々のことを話したり相談したり。
 いつも声をかけあい、つながり、助けあえる。
 生活をわかちあい、1日1日を生き抜いている。

 日本でキューバがどう変わるかと心配する声をよく聞く。私は大丈夫と思う。
 革命後、幸せに生きるために何を大切にしなければならないか。何をしなければならないかを教育され、しっかりと根をはって生きている人たち、若者たち、その中で育っている人たちがいるから。

Yoshiko

 現在、地元である大阪の介護施設で働きながら講演会などで各地を行脚するヨシコさん。いつもハツラツ、元気いっぱいの姿と軽妙な語り(大阪弁)でとても刺激をもらいました。

上に掲載した「キューバをおもって」という手書きの文は、キューバを訪れたことがある人には言わずもがなの「キューバ」にあって「日本」に無いものが、軽やかに表現されていて思わずハッとさせられます。
「それは国民性の違いだ」
「個人の性格の違いだろう」
「日本とキューバでくらべるなんてナンセンス」
などと言って、やりすごすことは簡単だと思うのですが、この文章に綴られている内容にはとても大きなもの(社会的に、ということでなく個人レベルでの思考や行動についての示唆、とでもいうのでしょうか…)を含んでいるように思います。

上河さんへのQ&Aの後、場所を若葉駅前のカッピンドゥラードに移して懇親会が開催されました。

会場にお越し下さったみなさんありがとうございました。

 ブログ管理者

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2015年 6/26(金)

6/26(金)
 朝、ノボルの家へ行く途中にベリンダの家族から松矢さんへの荷物を預かる。律儀なものである。
 午前中、日本へのお土産を買うため、店屋を廻る。コーヒーは6個、DVDを5枚買う。
 午後3時にICAPへの宿代として、デジカメを渡す。次回の11月についても了解をとる。

 午後4時にデニテスさんが島の稲作のプロジェクトの説明をしてくれるとして待っていたが来ない。待つのが仕事だと思っているが、こう振られるとむなしい。
 ノボルの家族とイタリアンレストランへ、高級店で一人5cuc掛かる。たまには良いが、その金で子ども達のために使ったほうが良いと思う。
 非常に暑く、寝苦しい夜だった。

松矢さんへのプレゼント
松矢さんへのプレゼント
ICAPへ宿代としてデジカメを渡す
ICAPへ宿代としてデジカメを渡す
ノボルの家族とレストランで食事、鯛の蒸し焼き、大変うまかった
ノボルの家族とレストランで食事、鯛の蒸し焼き、大変うまかった
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2015年 6/25(木)

6/25(木)
 胃の調子もだんだんよくなってきた。
 メールを送ってもらうため、7時にノボルの家へ行く。
今日はシロレドンドに行く日。電気自転車で行くのでゆっくりできる。
9時頃、エドワルドの家に着く。ヨシ子に見せるために畑、豚の様子を写真に撮る。
その後、アルベルトの田んぼへ行く。アルベルトはハバナに行っていていないが、先週播種した苗床を見る。まだ芽が出ていないため、場所がよくわからなかった。去年、経験しているので田植えはできると思う。日陰の温度計で10時30分頃、既に32℃を超えていた。6月は陽が射すと本当に暑い。昼食をご馳走になり、1時のバスに乗るため、早めに切り上げる。
エドワルドの家に戻ると、エドワルドからヨシ子に渡す荷物を受け取る。タバコ、コーヒー、薬、黒豆、そして、手紙を受け取る。また、日本のヨモギの種がほしいとのこと、新潟で生産されているのがわかった。
1時30分のバスを待っていると女の子がノートに花の絵を粗末な鉛筆で書いていた。絵を描くのが好きなこの子に4色ボウルペンを渡す。アリガトウといわれたが、外人が怖かったのかもしれない。農村部ではまだまだ貧しく、子ども達への支援も必要と思われる。
2時ごろ、ヘロナへ。ベルタに牛乳を渡す。
夕方、ノボルとエステバンが来て、ハバナへの船の切符のことと23日のメヤへの車代について、話をした。船賃に50cuc、車代に33cuc渡す。車代が高すぎと思うが代わりの手段が無い。燃費が悪く、ガソリン代が高い。前回も書いたが、生産を阻害している。
大学のヘススと食事をするとして待っていたが、来なかった。キューバではよくあることだが、待つのも仕事である。

シロレドンドのアルベルトの田んぼ、ここに種をまいたのだが、芽が出ていない
シロレドンドのアルベルトの田んぼ、ここに種をまいたのだが、芽が出ていない

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2015年 6/24(水)

6/24(水)
 昨日の疲れもあり、まだ、胃が痛い。パンを食べたが、昼は抜くことにする。
 スペイン語の子どもの本を読んでいるが、去年ほど熱心にできていないように思う。いつも勉強してから来ようと思うのだが、できていないのが実態である。
 午後、ベニータが姪御への手紙の返事を持ってきた。ひとつ約束が果たせた。
 米作りの成果は上がらないが、人間関係は少しずつ広がっているように感じる。
 胃の調子に自信が無いので夕食も抜きにする。

ベニータが息子さんと姪への手紙を持参
ベニータが息子さんと姪への手紙を持参
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2015年 6/23(火)

6/23(火)
 胃の調子も少し良くなったが、朝食は水物だけにする。
 ICAPではカナダからの高校生が15歳の誕生日のお祝いをするとして準備に追われていた。
 誕生日の彼女にハンカチをプレゼントする。少しびっくりしていた。飾りつけ等少し手伝う。
 買い物をする途中でウリシートと会ったので松矢さんから貰ったゲバラのTシャツを贈った。
 夕方、8時過ぎからセレモニーの開始。ドレスで着飾った彼女が入場し、後はキューバ人の出し物、そして踊り続け、11時にようやく終了した。あの年齢はエネルギーが余っており、何が楽しいかとおじさんは思うのだが、日本人の国際交流はこのように盛り上がるのかとか、日本の若者もキューバに来て交流ができればよいと思った。
 夕方、6時にノボルとエステバンが来た。船の切符の件、28日の2便、12時頃出発するようだ。また、昨日のメヤの車の清算をする。25Lを使ったので33cuc払う。車が古く、燃費が悪い上にガソリンが日本並みの値段では人も物も自由に移動できず、稲作でも色々検討してみたが、コストに対する見返りが少なすぎるので手を出さないのが実情である。

15歳の誕生パーティー
15歳の誕生パーティー
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2015年 6/22(月)

6/22(月)
 胃の調子が悪く、朝食は水物だけとした。
 メヤに行くため、8時30分に車が来るのでノボルとICAPで待っていたが、車がまた故障し、代車が10時近くに到着した。途中、ヘススを拾う予定だったが、見つけられなかった。後で聞いたら林の中にいて気づかなかったとのこと。
 10時30分に到着、田植えをする予定のひとに案内してもらう。2人いたが、両人ともロスパラシオスに視察に行った者である。品種はセレクション1とLP5とのこと。作付けする場所の準備がまだ済んでいない。何れも10m×10m程度の小面積で実施するそうである。研修の成果が出ているように思われてうれしかった。
 なお、新しいコンバインを買った模様だが、詳細は分からない。
 午後調子が悪く、寝て過ごした。夕方、ノボルの家へ野菜スープを食べに行く。

メヤ地区の田植えをする予定の田んぼ
メヤ地区の田植えをする予定の田んぼ
同じく、メヤ地区の田植えをする予定の田んぼ
同じく、メヤ地区の田植えをする予定の田んぼ
セレクション1の圃場
セレクション1の圃場
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2015年 6/21(日)

6/21(日)
 今日はディア・デ・パドレ(父の日)でシロレドンドに向かう。
 エドワルドの家では鳥を潰してスープにしたようだ。
 その後、アルベルトの実家へ行き、豚の丸焼きをご馳走になる。
 子ども達にヨシ子への手紙を書いてもらう。
 たっぷりご馳走になり、7時過ぎのバスに乗ろうとしたが、満員で乗れなかった。電機自転車でヘロナに帰る。
 11時頃、腹の調子がおかしく、戻す。食べすぎだと思われる。

ケンジがヨシ子に手紙を書いている
ケンジがヨシ子に手紙を書いている
アルベルトの家では子豚の丸焼き
アルベルトの家では子豚の丸焼き
ハルミと友達の写真
ハルミと友達の写真
エドワルドの親子写真
エドワルドの親子写真
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2015年 6/20(土)

6/20(土)
 特にすることが無く、昼食時にベリンダの母親が働いている床屋の写真を撮る。昼食はピザとボカリージョ、合わせて13ペソ(50円)程度だった。
 午後3時頃にICAPに人が集まり始めた。カナダ人を交えたキャンプのようだ。
 ICAPのスタッフと1時間ぐらい話をする。
 タオルを渡したが、今度もお願いされる。また、日本の食べ物を食べてもらったが、大人には柿の種が好きなようだ。

ベリンダの母親の写真
ベリンダの母親の写真
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2015年 6/19(金)

6/19(金)
今日で3日間、行く所が無く、ICAPに留まる。
 朝食、昼食に歩くたびに知っている人に会うようになった。
 アンデー(アルベルトの息子)に久しぶり会った。マンガのお礼を言われた。恋人と一緒に高校へ行く途中のようだった。来年から大学生になることが決まり、よかった。
 ICAPでは、日系人の徳永由美子(フカロのドナやキヨマの親戚)から日本語でどう書くかと聞かれ、前述のように書いてあげた。また、ヨアンディ(ヘススの息子)のところに来た青年はハバナの大学で日本人に習ってともに合気道をやっていたそうだ。「雪」の文字を日本語で書いてやった。
 日曜日がディア・デ・パドレ(父の日)であり、ICAPでもお祝いをしていた。甘そうなケーキを食べていた。
 昼食、夕食は個人経営の所で食べているが、常連や家族連れもおり、値段は飲み物代込みで
2~3ドルである。一般的なキューバ人とすれば高いと思われるが、どのような人が来ているのか興味深い。

アンデー(アルベルトの息子)に久しぶりに会う
アンデー(アルベルトの息子)に久しぶりに会う
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2015年 6/18(木)

6/18(木)
朝食に向かう途中に日本のオタクに声をかけられた。あだ名はリュウだそうだが、大学の先生のようだ。日本のコインをあげると喜んでいた。ワンピース・ナルト・ブリーチのほかにコナンまでが放映されているようだ。
午前中にエステバンとノボルが来る。今後の予定を聞いてきたが、全体を集めることはしないと話した。機械が揃ったらば一度全体で集まる会をすれば良いと思う。次回には機械が揃っているか?
ICAPに配給品が来たが、米18kg、黒豆9kg、砂糖50kgである。これで昼食の材料にすると思われる。15人いるから20日とすると1日当たり米50g、黒豆25g、砂糖100gの計算になる。砂糖だけ異様に多く、どれだけ食べるのかと思う。
レイコさんに電話をする。6月末のハバナのホテルの予約の確認と、11月のクバポンの島への飛行機の時間を連絡してもらうように頼んだ。また、ポンプの部品の受け取り先も引き受けて貰った。
 夕食時にエステバンが友達を連れていつものレストランに来る。ハバナに住む船長と技師。一人は日本語を喋り、英語を喋った。サラリーも良いようで土曜日までいるとのこと。

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CUBAPON El proyecto de arroz en la “Isla de la Juventud”