11時頃、昼食はサンドイッチ、8ペソ(50円)。日曜日は店も休みで家族が楽しむ日。子どもは観覧車に乗り、また、公園では家族皆でwi-fiを楽しんでいた。
2時にナンシーの家へ行き、日本好きな若者へ日本の品物を渡す。オタクの女子大生は「ワンピース」に感激してくれた。折り紙好きでカワイイものに興味を持っている。日曜日は家族で集まる日、あんまり集まりがよくない。
4時に帰宅、ガードマンへ日本語を教える。これは難しい。
また、前回知り合ったオタクの男教師からキューバの竹で作った竹トンボと箸を貰う。竹とんぼは十分に飛んだ。
「日本からの土産」タグアーカイブ
2015年 11/19(木)
8時30分過ぎからベニーテスを待っていたが、迎えに来たものの、別に用事ができたとのこと。コンビナートへ行き、会社の説明で終わった。会社名はウイダ・エンペサリアル・デ・グラノス、米、豆、トウモロコシ等の穀類専門に分社化して2ヶ月とのこと。社員は25人いる。2020年には青年の島で2020年には2226haまで拡大したいとのこと。現在は350haで1050t、2016年には650ha、2000tに増やしたいとのこと。
そのための圃場整備を進め、メヤでは750haまで増やす計画だし、シロレドンドの他にバケリード、サドナ・グラナダ地区で進めたいそうである。
収穫機は現在、4台あり、より大型な機械をブラジルから2台取り寄せる予定とのこと。ベトナムの支援協力があるようだ。
今日中にメヤに行くため、急きょ車を手配し11時に出発。
メヤでは新しい代表のハビエルさんが対応。支援物資を手渡した後、プロジェクトと11月22日の説明をし、了解を得る。今年は349ha栽培し、概ね3t/ha獲れるとのこと。昨年の倍の量とのこと。水不足が解消した結果である。最高は550kg/10aと非常に良い結果となっている。
去年秋から作付けしているセレクション1は非常によいとのこと。
ICAPの55周年の集会をしており、お菓子をご馳走になった。
夕方にノボルの家へ行く。
2015年 11/17(火)
2015年 11/11(水)午後7時以降
2015年 11/9(月)
2015年 11/8(日)
朝6時30分のバスでシロレドンドのエドワルドの家へ荷物を届けに行く。荷物はモグサ4kgの他にお灸の道具、野菜の種、写真等で大荷物であった。
また今日はルイス(アルベルトの兄、エドワルドのいとこ)の誕生日とのこと。9時30分にベルタの家に出発。豚の丸焼きをつくっていた。子ども達にはスーパーボールとボールペン、大人にはタオルを土産として渡す。アルベルトの田んぼへ状況を見に行く。6月に撒いた種は芽が出ずに他の品種ペニャを8月13日に播種したとのこと。一部は手植えを行い、非常によくなったとのこと。他の公社の稲は除草剤を散布が遅れたこと、肥料を撒かなかったことで出来がよくなかった。アルベルトからベトナムのもち米の種と精米機がほしいというリクエストがあった。要検討。
昼食を頂くが、前回油のとりすぎで腹を壊したことからなるべく豚の皮を食べなかった(何でもなかった)
3時過ぎにエドワルドから電動自転車でヘロナまで送ってもらう。
4時過ぎにエステバンとノボルとで今後の活動日程、11月のクバポン訪問だの日程、日本人の家について検討する。6時に終了。少し休んで7時に夕食をとりに行く。
2015年 6/20(土)
2015年 6/14(日)
6/14(日)
朝食にスパゲッティーをご馳走になる。キューバ人は麺類を食べる時、こしが無くなるまでゆでフニャフニャで食べることからタマラが固ゆでを作ってくれた。美味しかった。
午後2時にナンシーの組織する踊りのグループに集まってもらい、プレゼント等を渡した。
その時に松矢さんから頼まれたキューバの孫に写真等を渡した。後で手紙を書いてくれるそうだ。また、ユニエルさんから原爆ドームの作品を貰った。本人は美術の先生のようだが、日本のオタク?だそうだ。日本へ持って帰ってみてもらおうと思う。
順番に賞品を選んでもらったが、一番はボールペン、子どもが多いこともあり、筆記用具が人気のようだ。
その後、前回も行ったが、囲碁をアレハンドロとする。ナンシーもできるようだ。
2015年 6/9(火)
6/9(火)
9時に車に乗り、大学へノボルと一緒へ向かう。
大学ではヘススはじめ、5人が対応してくれた。
ビザのことで御礼をした後、草の根無償支援協力事業の進捗状況を確認した。
入札内容を検討し、コルバスカ(コロンビア)に決めて、発注をしたが、現在、価格面・輸送手段をめぐり、仲介役のムンドバットとの交渉中であるとのこと。具体的な進展状況は確認できないが、8月か、9月まで掛かるかもしれないとのこと。事前の連絡では6月の末に機械が導入されるかもしれないとの情報が入ったことから非常に残念だ。最終的に発注した機械について、後で確認するが、コンピュータとプリンターはこの中に入っているが、オートバイは予算の関係で入っていないとのこと。3000から4000ドルとのこと、どうするか帰って検討すると返事をする。なぜかというとこの状況が各農家に連絡がされておらず、キューバでは交通手段も大切であると思われるからである。また、部品について確認したが、重要な部品はこの中に含まれているとのことだ。
また、ロスパラシオスの指導者は機械が導入され次第、来て指導してくれることになった。
最後にメヤへは6月12日(金)に伺うことになった。LP5は止めてもっと多収性のある品種、ペェラというそうだ。なお、デマハグアもそうだったメヤも水不足だそうだ。
今は大学の卒業準備で忙しいとのこと、詳細は後で聞くことにする。ヘススからパイナップルとマンゴを貰う、感謝。
ICAPで音楽が聞こえると思ったら、誕生会をやっていた。少し飲み、踊っていた。呼ばれて日本酒を振舞った。その時も雨が降った。
夕方、ナンシーに招待されて夕食をご馳走になる。鳥のから揚げと黒豆のポタージュはうまかった。なお、新潟の女流書家の書が題字の日本酒をナンシーに渡す。大変喜んでくれた。ナンシーは紙を染める「もんかけ」をしつこく見せられる。13日(土)にフカロに行くことにした。
ICAPに帰ると男が2人来たとのこと。後で分かったが、ノボルとエステバンだった。ノボルには夕食のことを話していたが、忘れていたようだった。
2015年 6/8(月)
6/8(月)
午前6時のグアグア(乗り合いバス)でシロレドンドへ行く。
シロレドンドのバス停でウリセイ親子に会う。ウリシートは髪型等もだいぶ大学生らしくなってきた。また、父親のウリセイはヘロナへ働きに行っているようだ。
ウリシートへは大阪の緑さんから派手なTシャツを渡したので確認し、手紙を書くように依頼する。
エドワルドの家へ行き、蚊取り線香・蚊避けスプレー等を渡す。朝食を頂き、着替えてアルベルトの田んぼへ行く。アルベルトの母親のベルタに会った。元気そうでよかった。
頼まれた長靴を渡すと喜んでいた。
田んぼに行くと、半分は耕された圃場があり、半分はカラバサ(かぼちゃ)の作付けけがされていた。トラクターが来ないため、耕起ができないとのこと。草の根無償支援事業の耕運機が早くほしいとのことだった。
その後、耕された圃場にはブエ(雄牛2頭による耕起)が来て、耕していった。トラクターが
入れない圃場でも入れるが、プラウ部分が軽く、耕起部分が浅くなるのが残念である。なお、撒くモミはロスパラシオス研究所から送ってもらったとのこと、研修の効果が出ていると思う。
久しぶりにベルタの昼食をご馳走になったが、美味しかった。
午後は雨が続き、今年はシロレドンドで雨が多いことがわかった。
牛乳とマンゴを貰いかえったが、結局グアグアは午後の8時にしか来ず、バス停で1時間30分待つことになった。キューバでは待つことが大事な仕事である。しかし、蚊が多く、20匹以上殺したと思う。