午後7時にナンシーの家へ行く。
松矢さんのお土産と手紙を渡す。松矢さんの健康を心配していた。また、花札・いろはかるた、新潟の村井さんから預かった唐草の風呂敷を渡すが、いずれも始めて目にするもので喜んでいた。
夕食はチキンがメイン。大変なご馳走である。
また、その後、もう一人の「松矢さんのキューバの孫」のクラウディアのも土産を渡すが、ナンシー同様に松矢さんを心配していた。
12月10日に島津さんを取材にケンタサンが来るとのこと。日本で電話を貰った人である。
ナンシーは既に私たちに土産を用意しており、「ハバナ」と書いてあるTシャツを貰った。
なお、翌日からナンシーはハバナへ出張とのこと。
「キューバTシャツ」タグアーカイブ
2015年 6/23(火)
6/23(火)
胃の調子も少し良くなったが、朝食は水物だけにする。
ICAPではカナダからの高校生が15歳の誕生日のお祝いをするとして準備に追われていた。
誕生日の彼女にハンカチをプレゼントする。少しびっくりしていた。飾りつけ等少し手伝う。
買い物をする途中でウリシートと会ったので松矢さんから貰ったゲバラのTシャツを贈った。
夕方、8時過ぎからセレモニーの開始。ドレスで着飾った彼女が入場し、後はキューバ人の出し物、そして踊り続け、11時にようやく終了した。あの年齢はエネルギーが余っており、何が楽しいかとおじさんは思うのだが、日本人の国際交流はこのように盛り上がるのかとか、日本の若者もキューバに来て交流ができればよいと思った。
夕方、6時にノボルとエステバンが来た。船の切符の件、28日の2便、12時頃出発するようだ。また、昨日のメヤの車の清算をする。25Lを使ったので33cuc払う。車が古く、燃費が悪い上にガソリンが日本並みの値段では人も物も自由に移動できず、稲作でも色々検討してみたが、コストに対する見返りが少なすぎるので手を出さないのが実情である。
2015年 6/19(金)
6/19(金)
今日で3日間、行く所が無く、ICAPに留まる。
朝食、昼食に歩くたびに知っている人に会うようになった。
アンデー(アルベルトの息子)に久しぶり会った。マンガのお礼を言われた。恋人と一緒に高校へ行く途中のようだった。来年から大学生になることが決まり、よかった。
ICAPでは、日系人の徳永由美子(フカロのドナやキヨマの親戚)から日本語でどう書くかと聞かれ、前述のように書いてあげた。また、ヨアンディ(ヘススの息子)のところに来た青年はハバナの大学で日本人に習ってともに合気道をやっていたそうだ。「雪」の文字を日本語で書いてやった。
日曜日がディア・デ・パドレ(父の日)であり、ICAPでもお祝いをしていた。甘そうなケーキを食べていた。
昼食、夕食は個人経営の所で食べているが、常連や家族連れもおり、値段は飲み物代込みで
2~3ドルである。一般的なキューバ人とすれば高いと思われるが、どのような人が来ているのか興味深い。
※ キューバ青年の島『ふるさと』Tシャツ #2
※ お土産用に作成した『青年の島 ふるさと Tシャツ』です。9月の新潟からの訪問団に託し、青年の島へ届けてもらうことになっています。
※ 10/4 坂戸市文化施設オルモでの「キューバのつどいvol.4」で販売する予定です。興味ある方はぜひ。
Special thanks to Señorita Murakami,Señor Nobor Miyazawa and YOUGOOD CLOTHING.
8/25(月)
※ キューバ青年の島『ふるさと』Tシャツ
8/10(日)
午前中、タクシーでヘスス、ノボルとともにメヤ地区の生産組織へ行く。
5月に種を播いた圃場へ行くが、短靴で入れるほどに乾燥していた。
ヘロナの街中は毎日に雨だが、ここは降らないようだ。
また、用水路を整備するため、プレサ(ため池)の水位を落としたため、その後の雨不足で水が供給できないようだ。
7月に78ha収穫したが、平均1.8t/haしか収穫できず、不作となった。
結局、稲を育てるには水が無ければならず、次に機械の整備を必要とする。
大阪の村田さんの支援物資を喜んでいた。
また、ヘススから草の根無償支援協力について、聞いたが、省内間で調整しているのではないかとのこと、ヘススも今年中に許可が下りることを望んでいた。
また、ロスパラシオス研究所への視察は9月第1,2週を予定しているとのこと。なんとか、目的のひとつを実現したい。髪を切った。