6/15(月)
6時のバスでシロレドンドへ行く予定であったが、7時過ぎに出発。
エドワルドに朝食をご馳走になり、アルベルトの家へ行く。
昨日獲った魚をさばいていた。貴重な食料である。
その後、田んぼへ行った。水曜日に稲の種まきをする予定であったが、雑草が多いので育苗後に田植えをすることにしたようだ。田植えのほうが安定することを去年の取り組みで分かったようだ。
その後、水路の確認に廻ったが、蚊が多く大変だった。
昼食はその魚をご馳走になる。
3時過ぎにかぼちゃを貰って帰る。
来週の日曜日に父の日のお祝いをするから来るように言われた。
帰りのバスが、7時過ぎに来て、早く帰れた。
シロレドンドのアルベルトの田んぼ、ここに種まき予定
6/14(日)
朝食にスパゲッティーをご馳走になる。キューバ人は麺類を食べる時、こしが無くなるまでゆでフニャフニャで食べることからタマラが固ゆでを作ってくれた。美味しかった。
午後2時にナンシーの組織する踊りのグループに集まってもらい、プレゼント等を渡した。
その時に松矢さんから頼まれたキューバの孫に写真等を渡した。後で手紙を書いてくれるそうだ。また、ユニエルさんから原爆ドームの作品を貰った。本人は美術の先生のようだが、日本のオタク?だそうだ。日本へ持って帰ってみてもらおうと思う。
順番に賞品を選んでもらったが、一番はボールペン、子どもが多いこともあり、筆記用具が人気のようだ。
その後、前回も行ったが、囲碁をアレハンドロとする。ナンシーもできるようだ。
ナンシーが組織する踊りのグループ
松矢さんの写真をクラウデアに渡す
6/13(土)
朝食を取りに行くとノボルが熱を出して寝ているとのこと。心配だ。
フカロへ11時にバスで行く予定で、散歩ついでに歩くと広場で露天が出ていて菓子パンを買う。また、昼食代わりに小さなピザを買って食べた。
11時に湊さんとナンシーがトラックで迎えに来た。ありがたいが、金が大丈夫か心配だ。
12時に原田さんのお宅へ、昼食をご馳走になる。特に長ネギの料理を美味しくいただいた。この時期は野菜がなくなる時期なので大変うれしい。
その後、原田さんの田んぼへ、40aぐらいか。5月下旬に播種したものと思われるが、今年は雨が多いため、水が溜まる低い場所では芽が出ていなかった。たぶん腐ってしまったのだろう。適期に作業ができればこのようなことが無いかもしれない。機械の導入が待ち遠しい。
なお、原田さん宅では乳牛を飼い始めた模様。若手がいるのではじめたか。
その後、湊さんの家で夕食をご馳走になる。泊まっていけばと言われたが、蚊が多くて自信が無く、バスで帰ることにした。8時過ぎには家に着く。
フカロの原田さんの田んぼ、水溜りのところは芽が生えていない
6/12(金)
朝食時にタマラ(ノボルの妻、英語個人レッスンをしている)にどんな人が習いに来ているか聞いたが、多くは外国、特にUSAに行きたい人が多いそうだ。英語が話せないとこちらで技術を持っていても掃除とかの仕事にしかつけないようだ。
午前9時からメヤ地区に行くつもりが、車の故障で行けなかった。翌週の火曜日となった。故障はよくあることだが、このことが生産活動へ大きく影響している。
午後買い物に行く。ようやく、ライターを手に入れた。この島ではある時に買っておかないと何時手に入るか分からない不安がある。後はコーヒーとミネラルウオーターのでっかいサイズがあればよいのだが。
6/11(木)
ベリンダ(空手家、松矢さんの孫?)の家からマンゴを貰う。去年は直ぐマンゴがなくなったが、2度なり、三度なりとかなり続く、いずれにしても感謝。
スペイン語の若者の本を読む。少しずつ単語を思い出してくる。日本でやればよかったと思う。
スパゲッティーが食べたいが、いつも行く店ではおいていない。残念。
6/10(水)
今日は予定なし。午前中にタマラ(ノボルの奥さん)の姉に会いに行く。83歳、少しぼけてきたとのことだが、元気そうだった。その後、本やマッチ、タバコを買って帰ってきた。水も大きなものが無く、500ccしかなく、不経済である。
夕方にエステバンとノボルが来て、この間の車の清算をする。メヤを行くのを含めて、40CUCとのこと。物価を考えれば高いかなとも思うが、他にあてもないので今後も頼むことにする。
ついでにハバナへ帰る船の切符とカーヨラルゴ(観光の島)への出張ついでにコーヒーを頼む。
ノボルから日本からのメールを受け取る。
6/9(火)
9時に車に乗り、大学へノボルと一緒へ向かう。
大学ではヘススはじめ、5人が対応してくれた。
ビザのことで御礼をした後、草の根無償支援協力事業の進捗状況を確認した。
入札内容を検討し、コルバスカ(コロンビア)に決めて、発注をしたが、現在、価格面・輸送手段をめぐり、仲介役のムンドバットとの交渉中であるとのこと。具体的な進展状況は確認できないが、8月か、9月まで掛かるかもしれないとのこと。事前の連絡では6月の末に機械が導入されるかもしれないとの情報が入ったことから非常に残念だ。最終的に発注した機械について、後で確認するが、コンピュータとプリンターはこの中に入っているが、オートバイは予算の関係で入っていないとのこと。3000から4000ドルとのこと、どうするか帰って検討すると返事をする。なぜかというとこの状況が各農家に連絡がされておらず、キューバでは交通手段も大切であると思われるからである。また、部品について確認したが、重要な部品はこの中に含まれているとのことだ。
また、ロスパラシオスの指導者は機械が導入され次第、来て指導してくれることになった。
最後にメヤへは6月12日(金)に伺うことになった。LP5は止めてもっと多収性のある品種、ペェラというそうだ。なお、デマハグアもそうだったメヤも水不足だそうだ。
今は大学の卒業準備で忙しいとのこと、詳細は後で聞くことにする。ヘススからパイナップルとマンゴを貰う、感謝。
ICAPで音楽が聞こえると思ったら、誕生会をやっていた。少し飲み、踊っていた。呼ばれて日本酒を振舞った。その時も雨が降った。
夕方、ナンシーに招待されて夕食をご馳走になる。鳥のから揚げと黒豆のポタージュはうまかった。なお、新潟の女流書家の書が題字の日本酒をナンシーに渡す。大変喜んでくれた。ナンシーは紙を染める「もんかけ」をしつこく見せられる。13日(土)にフカロに行くことにした。
ICAPに帰ると男が2人来たとのこと。後で分かったが、ノボルとエステバンだった。ノボルには夕食のことを話していたが、忘れていたようだった。
島の大学でヘスス他、大学職員とともに
ナンシ-の家で、松矢さんの贈った扇子、新潟の酒、そしてもんかけ
6/8(月)
午前6時のグアグア(乗り合いバス)でシロレドンドへ行く。
シロレドンドのバス停でウリセイ親子に会う。ウリシートは髪型等もだいぶ大学生らしくなってきた。また、父親のウリセイはヘロナへ働きに行っているようだ。
ウリシートへは大阪の緑さんから派手なTシャツを渡したので確認し、手紙を書くように依頼する。
エドワルドの家へ行き、蚊取り線香・蚊避けスプレー等を渡す。朝食を頂き、着替えてアルベルトの田んぼへ行く。アルベルトの母親のベルタに会った。元気そうでよかった。
頼まれた長靴を渡すと喜んでいた。
田んぼに行くと、半分は耕された圃場があり、半分はカラバサ(かぼちゃ)の作付けけがされていた。トラクターが来ないため、耕起ができないとのこと。草の根無償支援事業の耕運機が早くほしいとのことだった。
その後、耕された圃場にはブエ(雄牛2頭による耕起)が来て、耕していった。トラクターが
入れない圃場でも入れるが、プラウ部分が軽く、耕起部分が浅くなるのが残念である。なお、撒くモミはロスパラシオス研究所から送ってもらったとのこと、研修の効果が出ていると思う。
久しぶりにベルタの昼食をご馳走になったが、美味しかった。
午後は雨が続き、今年はシロレドンドで雨が多いことがわかった。
牛乳とマンゴを貰いかえったが、結局グアグアは午後の8時にしか来ず、バス停で1時間30分待つことになった。キューバでは待つことが大事な仕事である。しかし、蚊が多く、20匹以上殺したと思う。
ウリセイ、ウリシート親子
アルベルトの田んぼ、牛で耕起、ここに「LP5」を播く予定
6/7(日)
午前からナンシーと湊さんとフカロの家に招待してもらった。
いつもどおりのご馳走を頂き、徳永さんの家と原田さんの家に顔を出し、挨拶する。
その中でナンシー、キヨマさん、ドナさん、マリリンの子どもはアメリカに行っていることが分かった。みんなアメリカに行っている。
マンゴをあちこちで頂き、大変満足であった。
原田さんの家で米を作ったとのことなので後で見に行くことにする。
湊さんのトラック、60年以上活躍、大変古い
CUBAPON El proyecto de arroz en la “Isla de la Juventud”